会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

京都一人旅第5日目ー8京都を去る

2010-01-18 15:21:22 | 旅行
1月18日(月) 
  寒気が緩む  
 
 
 久しぶりに暖かい一日であった。夕方5時から城西地区区長会臨時総会&新年会。
今日から始まった通常国会の様子を午後7時のニュースで視聴したいが、時間的に無理。
政治と金の問題が与党と野党の攻めぎあい。明日からのテレビや新聞報道は関心を持ってみていきたい。
 12日(土)   竜馬の足跡と三十三間堂

 午後1時56分京都発(ひかり474号)で帰路に着く予定。宿の周辺は動乱の幕末を維新の道へと導いた坂本竜馬が動き回っていた所。酢屋、近江屋跡、円山公園などがあった。




■連泊した「花屋旅館」女将の見送りを受けて宿を後にする。前にも紹介しましたが、高瀬川沿いにある元茶屋。昔ながらの情緒がある。近くには河原町、洗斗町、祇園の花見小路などの繁華街があるが、車の入れない露地にあるので静かである。お奨めの宿です。{室数は4つ}7,000円朝食付き(2人以上)、7,500円(朝食付き 1人) 京都市下京区西木屋町四條下る船頭町201 電話075-351-4398■
大政奉還の宣言直後、坂本竜馬と中岡慎太郎が暗殺された「近江屋事件」の跡地はローソンになっていた。記念の碑が隅のほうにあった。ちょと見つけにくい。これらを見てから、タクシーで三十三間堂へ行った。見学の後京都駅へ歩いた。
■酢屋は享保6年(1721)創業の木材商。店内には温もりある木工品が揃い、昔と変わらぬ木の文化を伝え続けている。幕末には坂本竜馬の海援隊京都本部となったことで知られ、2階の「ギャラリー竜馬」は見学することができる。 
開館時間は11時~19時30分
時間的に早かったので、店の外観を写真に撮った。 店の前には坂本竜馬の寓居の碑が立っている。■

  "★国宝三十三間堂"
★平安時代、後白河上皇の勅願により建立。全長120mの本堂に、国宝の千手観音座像を中心に千体の千手観音立像と、風神雷神像、二十部衆立像(ともに国宝)を安置する。三十三間堂の名は本堂内陣の柱間が33あることに由来する。正式名は蓮華王院。




京都一人旅の最後に息子自慢で終わります。親馬鹿ですね。笑ってください。

 昭和61年5月2日息子から突然の電話。あの頃は郵便局も連休でキャッシュカードが使えなかった。現金送れのTeL。事情が飲みこめないまま妻の従兄弟が京都の弁護士会の会長だったので連絡し金銭の都合をつけてもらった。お祝いのご馳走も仲間ともどもしてもらった。

 落ち着いて話しを聞くと京都三十三間堂の大的競射大会個人優勝、併せて全国弓道選手権大会遠的の部で優勝とのことだった。大学3年生の時。びっくいりするもうれしかった。
 その場所は三十三間堂の西側の廊下。すごーく長い。単純に1間(1,8m×33)としても50m以上はある。的に(直径いくらかわからない)命中させるのはなかなかずかしい。この三十三間堂を京都一人旅の締めくくりにできてよかった。