会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

湖東三山 

2015-12-10 17:36:51 | 旅行
2015年12月10日(木)曇 6.6℃~-1.7℃
「四季百彩に包まれた百済寺」

 旅行2日目(11月20日 金)湖東三山西明寺の門限が16:30なので、東福寺の見学はあわただしく12:35バス乗車⇒滋賀県百済寺へ。




 
 湖東三山とは琵琶湖の東にある百済寺、金剛輪寺、西明寺の三つの寺。京都を後にして大津インターより名神高速道路へ13:20。大津SAでトイレ休憩とお土産を買う。澄み切った青空、遠くに見える琵琶湖。思わずシャッターを押した。
 ここで京都大原の料理旅館「魚山園」の弁当を積み込み車中で昼食をとる。大原三千院の前にある有名な料理旅館の弁当を味わう。湖東三山PAで下り湖東三山では最古の寺百済寺へ。



京都の寺と違い観光客も少ない。ゆっくりゆっくりと木立の中石段を上る。10分くらいで本堂へ着いた。



 本堂周辺のカエデなどがあり色づいていた。時間があれば四季百彩に包まれた百済寺「地上の天国」といわれる『喜見院の庭園』。山上眺望の見事なパノラマ、巨石を組み合わせ、石間から流れる出て渓流となるように作庭された池泉ををじっくりと見て歩きかった。
 少しだけ眺めて石段を下りた。改めて『喜見院の庭園』を見に訪れたい。



 百済寺は、今から1400年前の推古14年(606)に、渡来人のために聖徳太子さまが創建された近江の最古刹です。
像高2.6mの十一面観音を本尊とし、御堂は百済の「龍雲寺」を模して創建され、開闢法要には、高句麗僧「恵慈」を咒願とし、百済僧「道欽」や暦を伝えた「観勒」も永く住したと伝えられております。
その後、鎌倉時代からは「天台別院」と称され、1,300人が居住する巨大寺院となりましたが、惜しくも天正元年4月11日に信長の焼討ちに遭いました。
 この寺は最後の山城といわれている。焼き討ちした信長は、寺の石垣を最初の平城といわれる安土城の築城に使った。




東福寺

2015-12-09 18:28:19 | 旅行
2015年12月9日(水)晴 10.3℃~-1.5℃
「東福寺の紅葉はまあまあ 大混雑」

 旅行2日目(11月20日 金)京都清水寺駐車場 午前11時20分発⇒東福寺着午前11時40分



 紅葉シーズンは清水寺の駐車時間は2時間。その時間内で坂を上り、本殿でお参りし、舞台や縁結び神社、音羽の滝、周辺の紅葉を眺め、土産店をの覗くと時間はぎりぎり。駐車場からやっと抜け出して東福寺へ。駐車場がないので大通りで下車して徒歩で寺へ。
 ここは少しだけ並んで開山堂への歩廊として架設された通天橋へ。この橋から渓谷・洗玉潤から望む紅葉は圧巻のはずだったが、紅葉には少し早すぎたようだった。通天橋を通り過ぎて左の普門院庭園へ降りた。ここも人と人で込み合い写真撮影もままならなかった。





 数年前ツアーでなく一人旅した時は、時期もよく午後だったのであまり混雑していなくてゆっくりと庭を散策してカエデモミジの真っ赤な色に感動したことがあった。
 その時は、普門院庭園にある八角形の朱塗の愛染堂、1280年に入定した聖一国師を祀る開山堂、国指定名勝東福寺本坊(方丈庭園)、国宝「三門」、本堂、東司(便所)など見て歩いた。紅葉を避けてゆっくりと見て回ると半日はかかりますがお薦めです。








 




清水寺

2015-12-08 17:05:01 | 旅行
2015年12月8日(火)晴 9.7℃~-1.7℃
「清水寺の紅葉はいまいち 大混雑」

 旅行2日目(11月20日 金)大阪のホテルを午前7時45分に出発⇒京都清水寺駐車場 午前9時30分着

 今回の旅行は紅葉がメーン。京都といえば清水寺と東福寺が定番のようだが、嵐山の天竜寺、哲学の道の永観堂、下鴨(賀茂)神社など紅葉の名所は数多くある。京都に魅せられた男としては、秋の紅葉、春の梅、桜、そして宵山、祇園祭など訪ねている。いつ行っても新し発見があり体験がある。

 清水寺に期待した。しかし、修学旅行シーズンであり金曜日ということだったので、清水寺の駐車場に入るのに20分、出るのに20分とものすごい時間を要した。駐車場から五条坂を歩いて三重の塔入り口までは団体旅行者(自分達も)の後ろをのろのろと・・・・。本堂で拝観してからは自由行動。


 
 桜の名所・清水寺は紅葉の名所としても名高い。清水の舞台の下は錦雲渓と呼ばれる渓谷で、秋には枝を絡ませたカエデの木々が見事に紅葉する。
 時期が早かったのか、それとも近年の気象異常が影響しているのだろうか。舞台下の紅葉は色がよくない。奥の院はまだ修理中で境地市内を見下ろすことはできなかった。本堂を出ると、縁結びにご利益のある「地主神社」があったが寄り道はせず、右の石段を下りる。古来「黄金水」「延命水」と呼ばれる音羽の滝へ。



長蛇の列なので素通りして南側の丘へ上る。ここからは清水寺の舞台を眺め隠れた撮影スポットだったが、工事用のクレーンが邪魔になり撮影できなかった。丘を降り帰り道から舞台を撮った。
 京都の観光地としては一番人気のようだが、奥の院の修復が終わった時、シーズンは避けて訪れるのがベストかもしれない。 




 
建設:西暦778年

清水寺は、京都府京都市東山区清水にある寺院。山号を音羽山。本尊は千手観音、開基は延鎮である。もとは法相宗に属したが、現在は独立して北法相宗大本山を名乗る。西国三十三所観音霊場の第16番札所である。

 



紅葉

2015-12-07 18:12:04 | 旅行
2015年12月7日(月)晴 10.7℃~-0.9℃
「秋深まる京都」

 昼間と夜間の気温の高低差があると木々の紅葉は色鮮やかになる。美しい紅葉を求めて11月中旬に阪急トラピックスのツアー「秋深まる京都・香嵐渓・湖東三山となばなの里イルミネーション3日間」に一人で参加した。
このツアーは愛知県の旅行券5,000円を活用している。一人参加だと6,000円プラスだったが、この補助金があり車中は隣席空き、宿泊は相部屋でない。すごくお得なツアーだった。
 
 少し時期がずれていますが、2泊3日の旅をごらんください。


【スケジュール】
 第1日目:西若松駅6:22発⇒郡山駅7:50着。下車して仙台から来るバスを待つ。予定より遅れて東日本急行バスが到着。駅前の広場で30分以上待ったので体は冷え切ってしまった。9:00乗車してツアー全員となる。(仙台、福島、郡山で東北地方の参加者を乗せた)
 磐越道⇒北陸自動車道⇒舞鶴若狭自動車道⇒近畿自動車道で大阪へ。箕面ホテル着19:20 約760km。
 途中何度かトイレ休憩をとったが、朝食・昼食は弁当。さすがに疲れた。



 その疲れが夕食で吹っ飛んでしまった。
 当日解禁のボジョレーヌーボォーが飲み放題。日本酒も焼酎も飲み放題。バイキング料理も和・中・洋が多種多様。
 うまくスケジュールを組んでいる旅行会社の企画に感心した。



 




 長床

2015-12-06 18:33:18 | 地域情報
2015年12月6日(日)晴 7.8℃~4.0℃
「新宮熊野神社(長床)と新宮城址」

 何日も雨が降り続き、雪やみぞれが降って灰色の空の日々が続いたが、やっと青空が見えた。気温は低くても青空の下では気分が高揚して活動的になれる。残っていた雪囲いをやり終えて安心して冬を迎えることができる。
 会津では、黄葉・紅葉の季節は終わり、木葉が風に舞い雨でぬれ落ち葉となっている。
 画像だけでも青空や黄葉・紅葉をみると、明るい気分になれる。
 知人のメールやブログなどでそんな画像を目にするとほっとする。隣家の銀杏は、11月末まで黄葉が美しかった。
 喜多方市の新宮熊野神社長床の銀杏の落ち葉は黄色の絨毯として大勢の人々を魅了している。
 


 どうしてこの地にこのような国重要文化財の長床が残っているのでしょうね。

 会津地方には、古代時代に「大塚山古墳群」「宇内青津古墳群」「雄国山麓古墳群」などがあり豪族が群雄割拠し大和朝廷と密接な関係を持っていた。
 その後、飛鳥時代、奈良時代における仏教の伝播。恵日寺、勝常寺などの隆盛。そして平安時代後期に源頼義が戦勝祈願のために熊野神社を勧請した。
 鎌倉時代には、南会津の長沼氏、河原田氏、山内氏、会津盆地には佐原一族の加納氏、新宮氏、北田氏、藤倉氏、猪苗代氏、葦名氏と鎌倉武士が治めていた。彼らは土地と民と交易の支配権を巡って、互いに争うようになった。



 この長床の地には葦名氏に滅ぼされるまで新宮氏が支配していた。熊野神社の近くには新宮城址がある。よく見ると畑になっているところが、堀跡だったりすることに気付くはずです。新宮村中にもいろいろな遺構がある。見つけてみましょう。
會津芦名研究会の会員として7月26日新宮城址の発掘調査した方の案内で歩いてみた。本当に城址なのか、堀跡なのかわからなかったが、現地を歩き説明を受けると納得できた。興味のある方は、新宮城址標識のある駐車場に車を置いて歩いてみてみましょう。田畑や雑草地、村内なのでガイドがいないとわからないかもしれないが・・・。



  ※フリー百科事典によると新宮熊野神社は

 平安時代後期の天喜3年(1055年)前九年の役の際に源頼義が戦勝祈願のために熊野堂村(福島県会津若松市)に熊野神社を勧請したのが始まりであるといわれ、その後、寛治3年(1089年)後三年の役の時に頼義の子・義家が現在の地に熊野新宮社を遷座・造営したという。この時、同時に熊野本宮社を岩沢村(喜多方市上三宮町)、熊野那智社を宇津野村(喜多方市熱塩加納町宇津野)に遷座・造営したが、後年、この2社は新宮社に遷され、現在、神社には本宮・新宮・那智の3社が祀られている。

最盛期には300余の末社や寺院・霊堂が立ち並び、100人以上の神職がいたというが、12世紀末に越後の城長茂の押領により一時衰退した。その後、源頼朝によって200町歩の領田を与えられて再び勢力を取り戻した。奥州合戦後に会津を与えられた佐原義連の孫・時連は神社の北東に新宮城を築いて新宮氏を名乗り、これ以後約200年間会津盆地北西部(現在の喜多方市一帯)を支配することとなった。新宮氏は神社を守護神として崇め、多くの神器を寄進し、神社の保護に努めた。新宮氏が蘆名氏に滅ぼされると、後ろ盾を失ったことから神社は衰退していき、16世紀後半になると戦乱に巻き込まれた影響もあって社殿は荒れ果てたものになっていたという。

 慶長年間に入り蒲生秀行が会津領主の時に50石を支給されたが、慶長16年(1611年)の会津地震で本殿以外の建物は全て倒壊してしまった。その後、慶長19年(1614年)、蒲生忠郷によってかつてのものよりも一回り小さい拝殿(長床)が再建され、会津松平氏時代は祈願所とされ、度々藩主の代参が行われた。明治時代初めに廃仏毀釈のあおりを受けて多くの仏像や文化財が失われてしまったが、神社は存続し、現在は神社近辺の集落住民で結成された保存会によって維持管理されている。




 

タブレット

2015-12-05 17:52:49 | Weblog
2015年12月5日(土)雨 5.9℃~1.3℃
「はじめてのタブレット」

 朝から雨。寒い。外出するのも億劫。暖かい部屋でテレビでも見て過ごしたい日であったが・・・・・。

 10月24日(土)会津稽古堂主催講座「0(ゼロ)から始めるSNS」の講座を受講したことがあった。この講座とセットで「はじめてのタブレット」の講座が今日の午後2時~4時半まで生涯学習総合センター3F研修室で開催される。欠席するわけにもいかず出かけた。
 受講生20人くらい(7割が女性)。講師は会津大学生3名。タブレットは主催者が用意したアップル社のiPadだった。
 下記のようなことを聞きながら実際に文字入力や検索などを体験した。
 自分が持っているタブレットはソニーのアンドロイドなので操作方法は若干違うが、若い学生の講義を聞いてタブレットの操作をした体験は貴重で楽し い時間であった。いくつになっても前向きで学んでいきたい。
 


 <講義と操作>
 1.スマートフォンやタブレットってなに?
  ・キーボードがないパソコン⇒気軽に持ち運べる
  ・どこでも簡単にインターネットにつなげる
  ・タッチで操作できる⇒直感的に操作が可能
  ・気軽に誰とでも交流できる
 
 2.スマートフォンやタブレットで何ができる?
  ・今話題の電子BOOKが読める⇒複数の本を手軽に持ち運べる
  ・ホームページが見れる⇒調べものがいつでもどこでも簡単に
  ・話題のLINEやfacebookなどのSNSができる⇒家族や友達と気軽に繋げれる
 
 3.タブレットを使ってみよう
  ・タップ:軽くポンッと画面をたたくこと⇒アプリの起動や画面を切り替えに
  ・タップ:画面を触れること⇒タップと同じ
  ・ピンチイン:2本指で画面をつまむように動かすこと⇒画面の拡大に使う
  ・ピンチアウト:2本指で画面を広げるように動かすこと⇒画面の縮小に使う
  ・フリック:画面を触れてそのまま上下左右に払うこと⇒入力や画面を行き来するのに使う
  ・ドラッグ:画面を触れたまま上下左右に動かす
  ・コピーやアプリの様々なところで使う

 ※タブレットとは

 板状の機器のことです。パソコン関連では、次の2つを指します。 ひとつは、液晶画面と本体が一体化して薄い板状になっている情報機器のことです。アップル社のiPadが代表格です。操作は画面を直接タッチして行います。一部の機種は、キーボードが脱着、もしくは変形して、ノートパソコンとしても使えるようになっています。ウィンドウズパソコンにもタブレット型機種はありますが、一般のソフトがタッチ操作を想定して作られていないため、あまり使いやすくありません。 もうひとつは、ペン(スタイラス)と板がセットになった入力装置のことです。「ペンタブレット」とも呼ばれ、センサーが内蔵された板の上で付属のペンを動かすと、その動きに従って画面のポインタが動きます。マウスよりも細かい動きができるので、絵を描くのに便利です。また、画面の上に透明な入力板を付けたものもあり、画面に直接線を描く感覚で使えます。






冬の準備

2015-12-04 18:07:55 | Weblog
2015年12月4日(木)雨 4.1℃~0.7℃
「とうとう会津の平地にも降雪」

 寒かったり暖かかったりと繰り返して季節は移り師走になった。11月初旬に磐梯山や吾妻山への初冠雪のニュースが流れ、周囲の山々が白くなると、平地にも早い降雪があると思い冬タイヤへの交換。樹木の枝つりや大根・白菜の収穫。鉢物などの雪囲いなっどを早めに取り掛かかった。だが、郡山や福島に初雪が降っても会津の平地には雪が降らなかった。
 昨日から気温が下がり、大風と雷鳴とともにみぞれが降った。とうとう会津にも冬将軍がやって来た。



 若いころは2~3日で冬を迎える準備ができていたのに、年を取るにつれて一気に作業ができず一週間くらいかかるようになった。
 早めに取り掛かったはずなのに、雪が降らなかったのと荒縄が無くなったので、一部観葉植物や盆栽などの鉢物、小木の雪囲いを残していた。
 みぞれが降り、あわてて鉢物を棚や藤だなの下へやポンプ小屋へ移した。


 大型ホームセンターへ荒縄を買い求めに行ったが、1店目は売り切れ、2店目にあったので購入した。荒縄の重さが軽い。値段を据え置きして量を少なくしているのだろうか。消費税が5%から8%になった時、いろいろな商品が値段を据え置きして量を少なくしたことがあったような話を聞いたことがある。

 寒い中作業をしたが雪が雨になったので中断。来週晴れた時残りの作業をする。
 灰色の雪空、取り残した柿、隣家の葉が散った栗の木、黄葉が残る銀杏や落ち葉などの光景は寒々とし侘しく気が滅入ってしまう。
 紅葉や黄葉、澄み切った青空の風景が懐かしい。
 次は、喜多方の長床黄葉や京都の紅葉をアップしたい。
 


 
 




カボチャ

2015-12-01 19:33:29 | 地域情報
2015年12月1日(火)曇 10.0℃~5.3℃
「奥会津金山町の赤カボチャ」

気象庁の発表では、今年の冬は暖冬傾向だという。来年の頭まで続くと予想されているエルニーニョ現象の影響が要因の一つだそうだ。
エルニーニョ現象は、太平洋の真ん中あたりからペルー沿岸までの海面水温が例年より高くなるもので、世界の気温を大きく左右するとされる。
今年は暖冬でしょうか? 小屋に貯蔵しておいたジャガイモが芽を出していた。大文字草がまだまだきれいな花を咲かせている。サルビアの赤はますます美しい。



 知人が栽培した金山町の特産品「赤カボチャ」を玄関に飾って置いたら、底が少しく痛みはじめた。冬至まで待たないで調理して食べることにした。
カボチャはビタミンB群やC、ベーターカロチンなどを多く含む、栄養が豊富な野菜として知られている。
 ベーターカロチンは体内でビタミンAとなる栄養素で、視力維持、髪や皮膚の張り、喉や肺など呼吸器系の健康を守る働きが期待される。カリウムも豊富なので、不用な塩分の排出に一役買ってくれるはずだ。

※ 株式会社 奥会津 金山大自然 のホームページより

皮が薄く全体でホクホクした食感を楽しめる赤カボチャは、一般的なカボチャよりも強い甘みを持っており、煮物はもちろん様々な調理法でおいしくいただけます。(加工食品にも利用しています)
全体が濃いオレンジ色で扁平型をしており、茎が太く、お尻の部分にある「へそ」が大きく出っ張っているのが特徴です。
奥会津の澄んだ空気と雪解け水をたっぷりたくわえて育った赤カボチャは、まさに大自然から私たちへの贈り物です。