アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

またろうの作り方: 遺伝

2009年10月27日 | 高専生活
同じ両親から生まれ、同じ保育園、同じ小学校で育っても、こうまで違う三人が出来上がることを考えると、持って生まれた性質というのは、ほんとにおもしろいものだと思う。

またろうが、数や空間の感覚に優れ、物と時間の管理ができなくて、漢字と英語が覚えられなくて字が超下手(-_-;; というようなことを考えれば、それはもちろん、メインの性質を色濃くよしぞうから受け継いでいることは一目瞭然。

だから、長らく私は、「またろうはよしぞうのコピー」と思っていて、到底理解できないあんなことやこんなこと(-_-# をやらかすのとか、学校でいろんな困ったことが起きるのは、
「私のせいじゃないからね」
と思っていた。

しかし、またろうが小学校高学年くらいになってくると、よしぞうとまたろうがだいぶ違うということも否応なしにわかってきた。

例えば、よしぞうがやはり授業中にシャーペンを分解組み立て分解組み立て…果てしなくやってたというエピソードがあるが、またろうと違う部分は、そうやって授業をまったく聞いていないようにみえるときに、「はい、よしぞう君」といって指せば、何事もなかったかのようにぱらぱらと教科書の当該部分を開いて読み始めたということである。

自分が興味を持ったことには邁進し、勉強では決して見せないような集中力を見せることは、同じといえば同じなんだけど、よしぞうのほうがそういう勢いが強く、またろうの集中力は持続せず、比較的薄いという感じがする。

ぶっちゃけ、よしぞうは中学受験ができ、またろうはまったく無理だったわけで、いざとなったときの集中力と勝負強さみたいなものは、だいぶ違うようだ。

大まかにいって、またろうのほうがより、まったりぼんやりマイペースという度合いを強く持っている。これはいったいどこから…??

そこで、ずーっと「棚に上げて」いた自分のことをおろしてみると、実は幼少時、「生活偏差値の低い子」といわれていたことをようやく思い出した。つまり、ほっとけばいつまでもじーーっと本を読んでいる子で、どこかから帰るときには必ず忘れ物をしている。動作もゆっくりで、ともかく日常的なことにはおしなべて気が利かないというのである。

まぁ確かに、ランドセルを忘れて学校に行ったこととか、ランドセルを学校に忘れて帰ったこととかもあるし、生涯になくした傘は数知れず。なんだか、手に持っていたものを、ふと無関係なところで手放してしまい、あれどこにいったんだろう…という性質を持っていた、いや持っている。

でも私、友だちとの待ち合わせにも遅れないし、役所に提出する書類もちゃんと書いて出せるし、近年では大事なもの(財布や定期や携帯など)をなくしたこともないし。ぜんぜん違うよ!?

違うことは違うのだが、そのような性質はむしろ大人になるときに獲得したものであって、自分の持って生まれた行動のパターンをベースにしていても大きな失敗をしないように、日常生活の工夫(バッグを固定して使うなど)を重ねてきた成果といえる。こういう後天的なものは遺伝しない(笑)

というわけで、どうやら、能力的なベースはよしぞうから、それに輪をかけてまったりのんびりしてしまったのは母のせい!? というのが定説になったのである。

しかし、父からは「勝負強さ」を除いて受け継ぎ、母からは「要領のよさ」「語学センス」を除いて受け継いだら…そりゃ困るに決まっている(^^;; しかしその分、またろうオリジナルの「味」が生まれたということで。
コメント (12)
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