昨日のレッスンで、シベリウスの「踊り」を見てもらってるときに、最後の部分にこんなのがあって:
←妄想全開してますか~?
音の形は2個2個でまとまりっていうか…
音が大きくなって(creschendo)、急いていく感じ(poco stretto)、じぐざぐと降りていく
ここを、私は2個2個っぽく弾いていたのですが、おゆき先生が、やはり三拍子っぽく(いちとっとっ)あくまで踊りらしく優雅に行ったほうがいいんじゃないかと。
けどここについては、三拍子らしく弾くイメージがつかめなくて、おゆき先生に代わって弾いてもらいますと、
…なるほどそういう雰囲気…それはそれであるかもしれないがしかし!?
私が考え込んでいると、おゆき先生は
「やはり三拍子であることを生かすほうがいいと思うけれど、二個二個もダメということはないから、両方試してみたら?」
それで、私が、
「ここの部分はですね、いい雰囲気になっちゃった二人が、村祭りでまだみんな踊ってるのを無視して、しけこんじゃうところなんですよーだからなんか優雅に踊るんじゃなくて、テケテケテケテケいっちゃったーみたいな」
というと、おゆき先生とトマトさん爆笑。「アンダンテさん、ちゃんと妄想できてるじゃないですか!!」
元々、私はヤマハでピアノを習っていたときに、先生から「この曲をどう弾きたいの?」「どんなイメージ?(ストーリー)」って迫られてちょっと嫌になっちゃった(何も思いつかない。無理)というのがあったわけで、おゆき先生に「アンダンテさんは妄想しなくていいですから」って言ってもらって安心して(笑)レッスンに通ってるって経緯があるわけです。
もちろん、終わる感じの和音だ、とか、いったん出しちゃった音は現実には大きくなっていかないけど気分はクレッシェンドとか、そういうのはあるんですよ。妄想というより楽譜から読み取れる範囲のこと。それをきちんとやっていけば十分音楽的になるから、具体的状況の妄想(田舎の酒場でじいさんが…)はしなくてもよいという意味です。
そんな私ですがこれまでいくつか、弾いてると具体的状況が浮かんでしまってそのイメージで弾いた曲、ってのがあります。これはそのひとつで…
曲にタイトル「踊り」がついてますし、それに沿ってきけば「まんま」具体的な状景が浮かんでくるような曲ですよね。それに、この曲はレッスンに持って行ったのではなくて、Webピアノ発表会のために自力で譜読みして練習していますから、自分なりに徹底して考えたんです。
そしたら、こんな:
冒頭の四小節は、鐘。村の祭りの始まりを告げる。
踊りの音楽が始まる。ワルツ。
若い男女大勢集まって、華やか。(旋律1、二回)
ステップが変わって、ペアがずれていくところ。(旋律2、二回)
踊りの曲の響きは遠景に後退し、
ひかれあった男女がささやいている。(旋律1 + アルファ)
みんなの踊りに戻る。心おどる出会いで音楽の響きもより華やかに聞こえる。(旋律1、一回)
ステップが変わって、ペアがずれていくところになると…いやこれはちょっと困るナ(^^;;
「いっちゃおか?」「いっちゃお」ってことで、二人でどっかへ逃げてっちゃった
いや実にハマるんですよ~もぉ完璧です。
自分で納得いくイメージができちゃうと、楽しく弾けますね。
私がこうやって微に入り細にわたったイメージを描けてしまうのって、これが「標題音楽」だからですよね。イメージきっかけとなるタイトルがついている。そして曲の内容も描写的である。
「ソナチネ」とかだとそういうものがないので私には妄想無理(^^;;
でも全然標題音楽でなくても妄想全開で弾ける人もいるらしく…つい先ほど某所で「アラベスク」に歌詞(日本語)をつけたのを見て驚愕(o_o) つえーーー
まぁ別にいつもそうやって妄想「しなくちゃいけない」ってことはないと思いますが、妄想苦手な私にとっては、お膳立て(標題)が整ってて、無理なくイメージが浮かぶ曲を弾いてみるってのは、そこから「こう弾きたい」が自然に出てくるからいいかもね。子どもがピアノを習って、ソナチネやツェルニーに行く前にブルクミュラーをやるってのはけっこういいことかなという気もします(あれ? 私もブルクやったのに妄想下手になったのだが)
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(今回もイラストはまたろう)
←妄想全開してますか~?
音の形は2個2個でまとまりっていうか…
音が大きくなって(creschendo)、急いていく感じ(poco stretto)、じぐざぐと降りていく
ここを、私は2個2個っぽく弾いていたのですが、おゆき先生が、やはり三拍子っぽく(いちとっとっ)あくまで踊りらしく優雅に行ったほうがいいんじゃないかと。
けどここについては、三拍子らしく弾くイメージがつかめなくて、おゆき先生に代わって弾いてもらいますと、
…なるほどそういう雰囲気…それはそれであるかもしれないがしかし!?
私が考え込んでいると、おゆき先生は
「やはり三拍子であることを生かすほうがいいと思うけれど、二個二個もダメということはないから、両方試してみたら?」
それで、私が、
「ここの部分はですね、いい雰囲気になっちゃった二人が、村祭りでまだみんな踊ってるのを無視して、しけこんじゃうところなんですよーだからなんか優雅に踊るんじゃなくて、テケテケテケテケいっちゃったーみたいな」
というと、おゆき先生とトマトさん爆笑。「アンダンテさん、ちゃんと妄想できてるじゃないですか!!」
元々、私はヤマハでピアノを習っていたときに、先生から「この曲をどう弾きたいの?」「どんなイメージ?(ストーリー)」って迫られてちょっと嫌になっちゃった(何も思いつかない。無理)というのがあったわけで、おゆき先生に「アンダンテさんは妄想しなくていいですから」って言ってもらって安心して(笑)レッスンに通ってるって経緯があるわけです。
もちろん、終わる感じの和音だ、とか、いったん出しちゃった音は現実には大きくなっていかないけど気分はクレッシェンドとか、そういうのはあるんですよ。妄想というより楽譜から読み取れる範囲のこと。それをきちんとやっていけば十分音楽的になるから、具体的状況の妄想(田舎の酒場でじいさんが…)はしなくてもよいという意味です。
そんな私ですがこれまでいくつか、弾いてると具体的状況が浮かんでしまってそのイメージで弾いた曲、ってのがあります。これはそのひとつで…
曲にタイトル「踊り」がついてますし、それに沿ってきけば「まんま」具体的な状景が浮かんでくるような曲ですよね。それに、この曲はレッスンに持って行ったのではなくて、Webピアノ発表会のために自力で譜読みして練習していますから、自分なりに徹底して考えたんです。
そしたら、こんな:
冒頭の四小節は、鐘。村の祭りの始まりを告げる。
踊りの音楽が始まる。ワルツ。
若い男女大勢集まって、華やか。(旋律1、二回)
ステップが変わって、ペアがずれていくところ。(旋律2、二回)
踊りの曲の響きは遠景に後退し、
ひかれあった男女がささやいている。(旋律1 + アルファ)
みんなの踊りに戻る。心おどる出会いで音楽の響きもより華やかに聞こえる。(旋律1、一回)
ステップが変わって、ペアがずれていくところになると…いやこれはちょっと困るナ(^^;;
「いっちゃおか?」「いっちゃお」ってことで、二人でどっかへ逃げてっちゃった
いや実にハマるんですよ~もぉ完璧です。
自分で納得いくイメージができちゃうと、楽しく弾けますね。
私がこうやって微に入り細にわたったイメージを描けてしまうのって、これが「標題音楽」だからですよね。イメージきっかけとなるタイトルがついている。そして曲の内容も描写的である。
「ソナチネ」とかだとそういうものがないので私には妄想無理(^^;;
でも全然標題音楽でなくても妄想全開で弾ける人もいるらしく…つい先ほど某所で「アラベスク」に歌詞(日本語)をつけたのを見て驚愕(o_o) つえーーー
まぁ別にいつもそうやって妄想「しなくちゃいけない」ってことはないと思いますが、妄想苦手な私にとっては、お膳立て(標題)が整ってて、無理なくイメージが浮かぶ曲を弾いてみるってのは、そこから「こう弾きたい」が自然に出てくるからいいかもね。子どもがピアノを習って、ソナチネやツェルニーに行く前にブルクミュラーをやるってのはけっこういいことかなという気もします(あれ? 私もブルクやったのに妄想下手になったのだが)
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(今回もイラストはまたろう)