「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

          何がエジプトを変えたのか?

2011-02-18 07:54:41 | Weblog
NHKラジオの「深夜便」で放送されたカイロからの中野真由美さんのワールド・ネットワーク(18日午前零時台)は、時期が時期だけに大変参考になった。中野さんはカイロ在住20数年、どういう経歴の方か知らないが、今回の反政府デモの主会場のタハリール(解放)広場にも実際に足を運ばれて取材されている。

僕は第2次中東戦争(1956年)から第3次(67年)まで新聞社で中東情勢を取材、実際現地にも行ったことがあるが、今回のエジプトの反政府をテレビの画面などで見て、僕の体験と印象と一つ乖離し、引っかかるものがあった。それは18日間の長期間のデもで大変な犠牲者が出ているが、その割にはデもが統率がとれていたことである。

デもが終息に向かったタハリール広場では、解散するデモ隊の青年が壊れた広場を修復し掃除する姿があった。略奪にあったエジプト考古学博物館の前では、これを防御しようと若者中心のピケ隊もテレビのカメラに映っていた。こういったことは、僕のこれまでのエジプト知識では考えられないことだった。僕はこれが疑問になっていた。

中野さんのレポートでも、エジプト人は一般的には、ゴミはポイ捨てし掃除人が片付けると思っている人が多い。僕のカイロの街の印象もけっしてクリーンなものはない。中野さんは、この変化を新しいエジプト人の誕生に求めている。今、エジプト人の平均年齢は若返り、日本人が40何歳なのに比べ30何歳なのだという。(正確な年齢をいわれたが、メモをせず忘れてしまった)

事実上追放されたムバラク氏も1952年の王制が倒れた革命のさいは24歳。ナセルの「革命の哲学」に共鳴して空軍に参加、第2次、第3次、第4次の中東戦争で武勲をたて、国家の英雄と称えられた。ムバラク氏の世代は、亡命するファルーク王一家を21発の礼砲で送ったそうだが、ムバラク氏は武勲をたてた「シナイ勲章」の地で隠遁されている。