UNIQLOの片棒を担ぐようだが、今日「父の日」のプレゼントにSTETECO(ステテコ)が売れていると聞いた。新聞の全面広告を引用させてもらうと”快適なドライ機能80色柄”があって特別価格¥790だという。長年白色無地のステテコになれてきた僕でも、ここ数年柄物を履くようになってきている。やはり、ちょっとした下着革命だ。しかし、いくら80色柄があるといっても、後期高齢者の僕は真っ赤な柄のSTETECOには抵抗がある。
ステテコは明治の初期、吉原の太鼓持ちが歌ったお座敷歌が語源だと言われているが、それから転意して太鼓持ちが着物の下から見え隠れしていた下着のことを指すようになった、と本に書いてあった。僕はお座敷歌は聞いたことはないが、このお座敷歌から派生したと思われる”どんぶり鉢浮いた浮いたステテコシャンシャン”という歌を聞いたことがある。戦前昭和の頃、旧制高校の寮歌が流行したが、たしか”ステテコシャンシャン”はその一つだったと記憶する。
海外旅行が自由化されて間もなく、政治家先生がローマの遺跡を見て”イタリアはまだ戦争から復旧でないのか”というのが新聞種になった。その時代から少し後だが、ノーキョウ(農協)さんの海外団体旅行が大流行したが、ノーキョウさんがステテコのままホテルのロビーをウロウロするというのでヒンシュクを買ったことがあった。新聞広告で見る限り”80色柄”のSTETECOはカラフルで下着には見えない。海辺のリゾートでは、そのままでもおかしくないようにもみえる。でもどうなのであろうか。識者の意見を伺いたい。
ステテコは明治の初期、吉原の太鼓持ちが歌ったお座敷歌が語源だと言われているが、それから転意して太鼓持ちが着物の下から見え隠れしていた下着のことを指すようになった、と本に書いてあった。僕はお座敷歌は聞いたことはないが、このお座敷歌から派生したと思われる”どんぶり鉢浮いた浮いたステテコシャンシャン”という歌を聞いたことがある。戦前昭和の頃、旧制高校の寮歌が流行したが、たしか”ステテコシャンシャン”はその一つだったと記憶する。
海外旅行が自由化されて間もなく、政治家先生がローマの遺跡を見て”イタリアはまだ戦争から復旧でないのか”というのが新聞種になった。その時代から少し後だが、ノーキョウ(農協)さんの海外団体旅行が大流行したが、ノーキョウさんがステテコのままホテルのロビーをウロウロするというのでヒンシュクを買ったことがあった。新聞広告で見る限り”80色柄”のSTETECOはカラフルで下着には見えない。海辺のリゾートでは、そのままでもおかしくないようにもみえる。でもどうなのであろうか。識者の意見を伺いたい。