「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

豆撒き 鰯の頭 恵方巻き

2015-02-04 05:15:27 | Weblog
昨日は節分,わが家も恒例により豆撒きをした。集合住宅の玄関を半開きにし、ベランダのガラス戸をすこし開き”鬼は外、福は内”と、ご近所に迷惑にならない程度の儀式だったがー。子供だった戦前昭和の時代、東京の区部でも豆撒きは盛んで、夕刻になると家々から”鬼は外の”の声がこだましていた。もっとも70年前、昭和20年2月3日の亡父の日記には”けふは豆撒きなれど撒く豆なし”とある。コメの代わりに大豆油を絞った豆粕が配給されていた時代である。

首都圏でも節分に恵方巻きを食べる習慣が定着してきた。歯医者に行った帰りに立ち寄ったスーパーの売り場には恵方巻きがうず高く積まれている。老妻に言われて、僕も材料がセットになっている一品とデンブを買って家で巻き、今年の恵方の西南西に向かって食べた。スーパーの売り場の片隅には「節分鰯で鬼退治」と書かれた広告の横で鰯が売られていたが、誰も買う客はいなかった。節分には鰯の頭を柊(ヒイラギ)の枝にさし、門前に飾るとその臭いから鬼が家の中に入ってこないという習慣が昔はあったようだが、今でもあるのだろうか。

家の近くの池上本門寺の節分に1万人を越える老若男女が集まったという、戦前にはあまりなかった現象である。豆撒きもさることながら年男の有名タレントを見に集まってくるようである。各家ごとの豆撒きは年々減る傾向にある。恵方巻きの習慣といい、僅か僕の80年の人生の間なのに変化してきている。800年前の「徒然草」の吉田兼好の時代には節分(追儺)は大晦日から四方拝(元旦)にかけての行事で(第十九段)夜どおし、人々が家々の戸を叩いてまわる奇習があったそうだ。百年先はどうなるのだろうか。