「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

ジャカルタ 世界一交通渋滞都市からの解消

2015-02-28 06:14:21 | Weblog
世界一と悪名高いジャカルタの交通渋滞解消のため三井物産.住友物産企業連盟が都市交通鉄道(MRT)と地下鉄を組み合わせた”鉄道インフラ”契約をインドネシアとの間に結んだ。この半世紀近く年に一度はジャカルタを訪れている僕にとっては朗報である。ジャカルタ市内の交通渋滞は、慢性的でラッシュ時にはニッチもサッチも行かず、大気汚染も局に達していた。完成はまだ先のようだが他人事ながらほっとしている。

僕が初めてジャカルタに駐在していた1966年(昭和41年)当時は今のような渋滞はなかった。まだ中心部のロータリーでは暴走族の遊び場になっていた。しかし、モータリゼーションの波ととに、公共交通機関がバスだけの”交通地獄”化に陥った。しかも都市政策の判断の誤りから、有料道路の建設を優先させた。このため一見、道路インフラは整備されたが、本来の機能は失ったままである。

オランダ植民地時代には当時の街の中心部、コタから郊外のオランダ人住宅地を結ぶ路面電車もあった。また市内には二つも立派な鉄道の駅舎もあり、ジャワ島各地を結ぶ鉄道も整備されていた。戦前、この地を訪れた川義親侯は、著書「じゃがたら紀行」(中公新書)の中で、その立派さに触れている。しかし、僕が駐在していた時には、路面電車は軌道が部分的に残っているだけで廃止されていた。鉄道も荒廃していて、僕は滞在していた期間、一度も利用したことはなかった。

ジャカルタはラッシュ時には、三人乗車していないと、中心部に入れないという規則があり、そのために郊外の入口には小遣い稼ぎの女性や子供がたっている。こんな姑息な制度で、どの程度で渋滞が解消されるかわからない。こんな状態だから、せっかく市内には、”じゃがたらお春”時代からの旧跡や博物館などがあるが、観光バスが走れない状態である。一日も早くジャカルタ市民のマスク姿が消えることを祈っている。