「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

映画「KANO」と日本の台湾統治時代

2015-02-24 05:57:03 | Weblog
日本統治時代の昭和6年(1931年)台湾南部の中等学校(旧制)嘉儀農林が甲子園に初出場した話が映画化され「KANO」(嘉農)のタイトルで今、日本で上映され話題を呼んでいる。嘉儀農林の名前は僕も覚えている。初出場から36年まで春夏4回も甲子園に出ており、4番打者の呉昌征選手はその後プロ野球の巨人軍に入って活躍した。

申し訳ないがまだ僕は映画を見ていないが、映画はかなり長編で、直接「KANO」には無関係の八田與一氏の話が多すぎるという批評もあるそうだ。八田氏は台湾総督府の技師で、嘉儀農林のある嘉南平野の水利事業を指導、穀倉地帯に蘇生させた恩人として、台湾の教科書にも出てくる人物である。観光旅行で2回台湾に出かけた程度の僕でも八田氏の話を知っている。

この批評に対して監督のマー.ジージャ氏は「八田さんと台湾農業は切っても切れない。野球も土=農業と密接で嘉農と八田さんは、あまり関係ないが”桜”と”梅”(二つの筋たて)が同時に満開になる年はどんなに美しいだろうと思った。いくら長くなっても八田さんの部分きれない」(読売新聞編集手帳)と答えている。

台北には日本統治時代の総督府の建物が残存しており、総統府として今でも使用されている。華西夜市街の一角には日本統治時代遊郭であった建物も残っているているという。歴史とはそういうものだ。ソウルにあった朝鮮総督府の建物は”歴史をたてなおす”という理由から1995年、撤去されてしまった。日本統治時代、京城と呼ばれたソウル市内にも、遊郭が台北以上にあったが、今はどうなのだろうか。まさか”歴史がたてなおす”ために壊し、”従軍慰安婦”と混同してしまったのだろうか。