昨夕、ユスフ.マヘンドラ駐日インドネシア大使ご夫妻の招待で、帝国ホテルで開催された独立70周年祝典に老妻と一緒に末席を汚した。僕がインドネシアと関係を持つようになってから来年で50年になるが、独立祝典をホテルで開催するようになったのは昨年からだ。昔は細々と在京インドネシア学校で、大使館職員の夫人たちが手造りの料理でお祝いしていた。その当時から招かれている僕にとっては千人近い招待客でいっぱいの祝典はまさに感無量だ。
祝典で乾杯の音頭をとった福田康夫元総理(日本インドネシア協会会長)は、挨拶の中で、70年前の独立当時の元日本軍人が、かくしゃくとしてこの祝典に参席していると紹介していたが、元総理の実父赳夫元総理の唱えた”心から心へ”(dari hati ke hati)の親善外交はすでに両国間に根づいてきた。マヘンドラ大使は、筑波大学卒業で在日13年、もちろん日本語はべらべらである。
会場で挨拶した二階俊博日イ議員連盟会長(自民党総務会長)の話によると、今年秋には1000人の訪問団を引率してインドネシアを訪問するとのことだ。また、インドネシアと共同で、11年前のインど洋大津波のあった12月3日を”津波の日”と設定し国際的な津波防災の日と設定することになったという。
大使館では招待客に”Trade with remarkable Inndonesia"(目覚ましいインドネシアとの通商)と書かれた紙袋をお土産にくれた。中にはインドネシアのバチック(更紗)製のテーブルかけや小物入れ,本のしおり、ティシュペーパー、缶入り紅茶などが入っている。国をあげての通商政策である。50年前、僕がジャカルタに滞在していた時は、スカルノ(初代大統領)の外交政策の破綻から、街には粗悪な中国製品しかなかった。大使館主催のこの種のパーテイでお土産が出ることは珍しい。おもてなしの心にもどこか共通なものを感じる。
祝典で乾杯の音頭をとった福田康夫元総理(日本インドネシア協会会長)は、挨拶の中で、70年前の独立当時の元日本軍人が、かくしゃくとしてこの祝典に参席していると紹介していたが、元総理の実父赳夫元総理の唱えた”心から心へ”(dari hati ke hati)の親善外交はすでに両国間に根づいてきた。マヘンドラ大使は、筑波大学卒業で在日13年、もちろん日本語はべらべらである。
会場で挨拶した二階俊博日イ議員連盟会長(自民党総務会長)の話によると、今年秋には1000人の訪問団を引率してインドネシアを訪問するとのことだ。また、インドネシアと共同で、11年前のインど洋大津波のあった12月3日を”津波の日”と設定し国際的な津波防災の日と設定することになったという。
大使館では招待客に”Trade with remarkable Inndonesia"(目覚ましいインドネシアとの通商)と書かれた紙袋をお土産にくれた。中にはインドネシアのバチック(更紗)製のテーブルかけや小物入れ,本のしおり、ティシュペーパー、缶入り紅茶などが入っている。国をあげての通商政策である。50年前、僕がジャカルタに滞在していた時は、スカルノ(初代大統領)の外交政策の破綻から、街には粗悪な中国製品しかなかった。大使館主催のこの種のパーテイでお土産が出ることは珍しい。おもてなしの心にもどこか共通なものを感じる。