来年の年賀葉書の郵便局での受け付けが始まった。もう、そんな時期かと先月割引印刷で購入していた葉書を取り出し、少しずつ書き始めた。郵便局のお年玉付き年賀葉書の発行枚数は平成15年(2003年)の44億5千枚ををピークに減りはじめ、今年はその約6割の25億2千枚だという。その減少カーブはIT革命が本格化してきたのと似ている。わが家もご多聞に漏れず、減ってきているが、これはIT革命ではなく加齢によるものだが。
お年玉葉書が郵便局から売りに出されたのは、戦後間もなくの昭和24年だが、発行部数は僅かに1億4千枚だった。物のない時代を反映して特等賞品がミシン、1等洋服生地、2等子供の野球ミットであったと、僕の「学生日記」(旺文社)に記載があるが、亡父の日記には,年賀葉書、数年ぶりに復活と書いている。これは父の誤解によるものと思うが、賞品にはあまり魅力がなかったのだと思う。
戦中戦前の年賀葉書はどうだったのであろうか。たまたま書箱の隅に、亡父の書き損じた昭和16年の年賀葉書があった。「皇紀二千六百0一年の初頭に方り皆々様の御健康を祈り、併而平素の御無沙汰を深く御詫び申し上げます」(ママ)印刷された書面だが、70余年の歴史を感じる文体である。
今年わが家で夫婦併せて出す、年賀状は僅か百枚、現役時の半分である、それも出来合いの印刷された葉書に住所宛名を書き、一言近況を添えて出すだけ、しかも時間は余るほどある。昔とちがって”なまけもの”になってきたのか。それともIT革命によるライフスタイルの変化によるものであろうか。
お年玉葉書が郵便局から売りに出されたのは、戦後間もなくの昭和24年だが、発行部数は僅かに1億4千枚だった。物のない時代を反映して特等賞品がミシン、1等洋服生地、2等子供の野球ミットであったと、僕の「学生日記」(旺文社)に記載があるが、亡父の日記には,年賀葉書、数年ぶりに復活と書いている。これは父の誤解によるものと思うが、賞品にはあまり魅力がなかったのだと思う。
戦中戦前の年賀葉書はどうだったのであろうか。たまたま書箱の隅に、亡父の書き損じた昭和16年の年賀葉書があった。「皇紀二千六百0一年の初頭に方り皆々様の御健康を祈り、併而平素の御無沙汰を深く御詫び申し上げます」(ママ)印刷された書面だが、70余年の歴史を感じる文体である。
今年わが家で夫婦併せて出す、年賀状は僅か百枚、現役時の半分である、それも出来合いの印刷された葉書に住所宛名を書き、一言近況を添えて出すだけ、しかも時間は余るほどある。昔とちがって”なまけもの”になってきたのか。それともIT革命によるライフスタイルの変化によるものであろうか。