ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

オペラ「トゥーランドット」~泣くなリュー

2010年07月26日 | オペラ
Non Piangere Liu Tenore PIER MIRANDA? FERRARO


また、わがフェッラーロ先生に登場いただくこととなった。
レッスンで先生は「プッチーニを歌うのは賛成しない」とおっしゃたけれど、用意しておいた「トゥーランドット」から奴隷娘のリューの≪王子様、おききください≫を歌ったら、先生は続いて王子カラフの≪泣くな、リュー≫を歌って下さった。
こうして一連の場面を続けて勉強するのは、日本ではなかなかできないことでもあったが、何しろ相手は世界を魅了したヴェルディテノール、フェッラーロではないか(当時は知らなかったが)、でも彼の素晴らしい歌を聴いて、男がまっすぐに紫禁城めざして決心を固めているのを感じ取った、そういう気分にされて、あわれな奴隷娘リューは、ドラマに関係なく、聴き惚れているだけ、という情けないありさま。

トゥーランドットという紫禁城の姫で絶世の美女の前では、奴隷娘のみすぼらしいリューは勝負にならない、そしてドラマは姫と王子のめでたしめでたし、でおわる。

「何だ、このオペラは!リューが可哀そうじゃないか!女をバカにするな!」と怒っていたけれど、フェッラーロ先生の声でもはや止められない「男の権力への憧れ」をききとったものだ。それは彼がヴェルディ「運命の力」の≪天使のようなレオノーラよ≫とは全く違った世界だった。

「プッチーニは喉に悪い、オーケストラが歌の旋律と並行してユニゾンでくるから、気がつかない間に声のバランスを崩してしまう、できるだけ歌わないほうがいい」とおっしゃった。

この「泣くな、リュー」は続いて王子がドラを鳴らし「トゥーランドット!トゥーランドット!」と高々に歌うのだけど、そこはリサイタルのせいか、省略されているのが残念。

☆菅夫人の本「あなたが総理になって、いったい日本の何がかわるの」はなかなか読みやすかった。ただ、テレビCMの「日本フルハップ~♪」の町の社長さんのこわい奥さんを思い出すのでした。
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あるプリマドンナと「マグダラのマリア」を演じた金賢姫

2010年07月26日 | 政治

P@ragazzo様のブログにコメントした時、P様は「金賢姫はマグダラのマリアを演じた」と書いていらっしゃったのを読んだ時、これを書きたい、と思った。
P様の文章は面白く楽しいだけでなく、背景に幅広い教養を感じるのだ。

バティカンにミケランジェロの「ピエタ」という像がある。
美しいマリアが死せるキリストを抱いている有名な像である。
ところが、このマリアはキリストの母マリアでなく、マグダラのマリアである、という説がある。
ミケランジェロは多分「マグダラのマリア」を念頭にしたように思うのだ。

「マグダラのマリア」は娼婦であり、人々に石を投げられていたところを、キリストが「罪のない者は石を投げてもよい」と言うと人々はうなだれたという・・・そこでマグダラのマリアはキリストの足を洗い、弟子になった、とか。
でも一説にはマグダラのマリアは「キリストの恋人だった」とも・・・そんなバチあたりなことを言ったのが、イタリアで出会い、ずっとその後も弟子のように教えを受けた老師、故・永井智子先生だった。
彼女は荷風の「断腸亭日乗」にも描かれている。非常に賢くまた激しい気性のプリマドンナだった。
荷風によると「美貌と美声を兼ね備えた歌手」とある。
「マグダラのマリア」ということを聴いたのが、彼女からだったのだ。

「私は3度結婚してそれぞれひとりづつ子供を産んだけれど、子供を育てていなかった。だから私は心に十字架を背負って生きてるの。」彼女は歌の為に家庭を捨てた。だから子供が自分を捨てても当然だと思う、と。
でも実際はどうか、最初の夫との子、永井路子を友人の松本清張に紹介し作家としてスタートさせ、2番目の日本画家田中某の夫との男の子をドイツの義妹に預けて舞台俳優とし、3番目の作曲家の夫との子を彫刻家にした・・・これは自分が歌を勉強するため、勝手にイタリアに連れていったというが。
それでも「私は子供を捨てた」という彼女の孤独感は何か?
彼女は、その3番目の夫も捨て、イタリアへ行った。

日本で戦時中、イタリアが戦争に負けた時、「イタリア語で歌ってはならぬ、日本語の歌詞に変えてコンサートを開け」と軍にいわれ、「これはイタリア語でしか歌えません」と言い返して音楽会をやめた彼女、クリスチャンでありながらイタリアの神父に「歎異抄」を話した彼女、オペラの演技は「浄瑠璃で学べ」とも言っていた。弟子には世阿弥の「風姿花伝」を読ませた。
ヨーロッパの音楽の背景にある宗教を日本人は知らない、日本人は日本の伝統を知ってオペラを歌え、とも言った。
フィレンツェでメディチ家の美術を鑑賞していたら、「藤原家にも及ばないわね!」って。
私は彼女の度重なる爆弾発言に驚いてばかり・・・。
彼女は作曲家マリピエロの作品を日本初演、また日本での「ボリス・ゴドゥノフ」も初演したメッゾソプラノだった。

「私の洗礼名はマッダレーナというの。マグダラのマリアよ」って。
音楽家として家庭を捨てた罪を背負ってきた、とおっしゃる。


金賢姫を日曜のニュースバラエティで見ていたら「めぐみさんたちも、この日本の地を踏みたかったのね。でもいつか帰ってこられるわ」「息子たちにはママは日本語ができるのにどうして日本に行かないの、ときかれる」などと言っていた。
確かに北朝鮮で育った彼女が工作員の仕事を拒否はできなかったであろう。
ただ、今の彼女はどうなんだろう。115人の人を乗せた飛行機を爆破したのだ。これは事実だ。
出てきてはいけなかったのではないか。クリスチャンに改宗したともきくが、静かに祈る日々が過ごせなかったのだろうか。
23年も前のことしか知らないのに、「横田さんに会って話したいことがある」と言うなんて、しかもたった一回しか会っていないのに。
わかったのは猫をたくさん飼っていたこと、機智に富む話をしたこと、これくらいである。
高揚した横田さんのお気持ちが痛々しい。
「生きていますよ」とみんなに言った、日本ではデヴィ夫人や田原総一郎に「死んだ」と断言されてくやしく情けない日々だったことでしょう。
有元さんのお母さんは心弾むような笑顔で「うれしい」とおっしゃっていた。
でもどうして日本に来たのか、彼女はKCIAの一員?
「マグダラのマリアを演じていた」けれど実際は・・・そのマグダラのマリアの美しさにポーっとなったのか、あの中井大臣が「本当のこと言って東京見物をさせてあげたいよ。彼女は2度と国外に出られないんだよ」って言った・・・。

では爆破された飛行機に乗っていた犠牲者たちはどうなるんだ、どうして軽々しくそういうことが言えるんだ、と思う。
バカとしか言いようがない。それに中井大臣はキリストじゃないんだ。
金賢姫もまた「マグダラのマリア」ではない。
P様の言われたように「演じた」のだ。

平沼氏は美しい金賢姫に会い、ハッキリと「北朝鮮と日本の間で粘り強く解決していかねばならない」と言った。
これに中井大臣は、千葉法相はどうこたえるのか。
それに鳩御殿を貸したルーピー鳩は?
 
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