Non Piangere Liu Tenore PIER MIRANDA? FERRARO
また、わがフェッラーロ先生に登場いただくこととなった。
レッスンで先生は「プッチーニを歌うのは賛成しない」とおっしゃたけれど、用意しておいた「トゥーランドット」から奴隷娘のリューの≪王子様、おききください≫を歌ったら、先生は続いて王子カラフの≪泣くな、リュー≫を歌って下さった。
こうして一連の場面を続けて勉強するのは、日本ではなかなかできないことでもあったが、何しろ相手は世界を魅了したヴェルディテノール、フェッラーロではないか(当時は知らなかったが)、でも彼の素晴らしい歌を聴いて、男がまっすぐに紫禁城めざして決心を固めているのを感じ取った、そういう気分にされて、あわれな奴隷娘リューは、ドラマに関係なく、聴き惚れているだけ、という情けないありさま。
トゥーランドットという紫禁城の姫で絶世の美女の前では、奴隷娘のみすぼらしいリューは勝負にならない、そしてドラマは姫と王子のめでたしめでたし、でおわる。
「何だ、このオペラは!リューが可哀そうじゃないか!女をバカにするな!」と怒っていたけれど、フェッラーロ先生の声でもはや止められない「男の権力への憧れ」をききとったものだ。それは彼がヴェルディ「運命の力」の≪天使のようなレオノーラよ≫とは全く違った世界だった。
「プッチーニは喉に悪い、オーケストラが歌の旋律と並行してユニゾンでくるから、気がつかない間に声のバランスを崩してしまう、できるだけ歌わないほうがいい」とおっしゃった。
この「泣くな、リュー」は続いて王子がドラを鳴らし「トゥーランドット!トゥーランドット!」と高々に歌うのだけど、そこはリサイタルのせいか、省略されているのが残念。
☆菅夫人の本「あなたが総理になって、いったい日本の何がかわるの」はなかなか読みやすかった。ただ、テレビCMの「日本フルハップ~♪」の町の社長さんのこわい奥さんを思い出すのでした。
また、わがフェッラーロ先生に登場いただくこととなった。
レッスンで先生は「プッチーニを歌うのは賛成しない」とおっしゃたけれど、用意しておいた「トゥーランドット」から奴隷娘のリューの≪王子様、おききください≫を歌ったら、先生は続いて王子カラフの≪泣くな、リュー≫を歌って下さった。
こうして一連の場面を続けて勉強するのは、日本ではなかなかできないことでもあったが、何しろ相手は世界を魅了したヴェルディテノール、フェッラーロではないか(当時は知らなかったが)、でも彼の素晴らしい歌を聴いて、男がまっすぐに紫禁城めざして決心を固めているのを感じ取った、そういう気分にされて、あわれな奴隷娘リューは、ドラマに関係なく、聴き惚れているだけ、という情けないありさま。
トゥーランドットという紫禁城の姫で絶世の美女の前では、奴隷娘のみすぼらしいリューは勝負にならない、そしてドラマは姫と王子のめでたしめでたし、でおわる。
「何だ、このオペラは!リューが可哀そうじゃないか!女をバカにするな!」と怒っていたけれど、フェッラーロ先生の声でもはや止められない「男の権力への憧れ」をききとったものだ。それは彼がヴェルディ「運命の力」の≪天使のようなレオノーラよ≫とは全く違った世界だった。
「プッチーニは喉に悪い、オーケストラが歌の旋律と並行してユニゾンでくるから、気がつかない間に声のバランスを崩してしまう、できるだけ歌わないほうがいい」とおっしゃった。
この「泣くな、リュー」は続いて王子がドラを鳴らし「トゥーランドット!トゥーランドット!」と高々に歌うのだけど、そこはリサイタルのせいか、省略されているのが残念。
☆菅夫人の本「あなたが総理になって、いったい日本の何がかわるの」はなかなか読みやすかった。ただ、テレビCMの「日本フルハップ~♪」の町の社長さんのこわい奥さんを思い出すのでした。