韓国に拿捕された船長 73日間毎日丸麦1合と大根葉の塩漬2回
NEWSポストセブン
2012年08月27日16時00分
領土を守る行為とは、その土地に日の丸を掲げ、「ここは日本領だ」と叫ぶことだけではない。むしろ、名もなき市井の人々がその土地に築いてきた生活の営みこそ、「日本領土」たる揺るぎなき根拠である。ここでは竹島をめぐるエピソードを紹介しよう。
韓国が竹島を不法占拠して以降、韓国側は竹島近海で操業する日本漁船に対して、銃撃や拿捕を繰り返すようになった。
日韓漁業協議会の調べでは、1965年に日韓基本条約と漁業協定が締結されるまでに、拿捕された日本の漁船は328隻、抑留された船員は3929人、死傷者は44人に上った。
1953年9月に拿捕された第28海鳳丸の久保田伴良・船長は帰国後、国会の小委員会で壮絶な投獄体験を証言している。
済州島周辺を航行中、韓国海軍の巡航艇に大砲2発を発砲され拿捕された海鳳丸だったが、船長は小銃を突きつけられた状態で軍幹部に反論し、警察尋問では拳銃で脅されながら自分の証言と調書の違いを主張するなど、抵抗を示した。
彼は2か月以上勾留された留置場の様子をこう述べた。
「留置場は1部屋4畳半くらいで多いときは1部屋10人もおり、超満員になって寝ることもできなかった。食事は丸麦1合くらいを1日2食、おかずは大根の葉っぱの塩漬を毎日毎日73日間も食わされた」
裁判で罰金刑を受けた船長は、「今後は国際裁判で正当な解決をしてもらうことにして一同涙をのんで翌日判決を承認して」帰国した。
船長は国会で、「この事件について考えさせられますことは、我々第一線に働いている漁船船員に対してまだ政府は何ら安心して働けるような保護対策のないことであります」と訴えている。
李承晩ラインによる韓国の非道 (昭和33年中日新聞)
李承晩ライン(李ライン)
1952年、韓国の李承晩大統領が行なった、一方的宣言によって規定された領海水域。
同宣言により
朝鮮半島周辺(最大二百マイル)の水域内に存在する、
すべての天然資源、水産物を利用する権利を主張した。
日本側はこのラインを認めず、
結局65年の日韓漁業協定で李承晩ラインが廃止されるまで、韓国軍による日本漁船の拿捕が続いた。
李承晩ライン廃止までの抑留者数・拿捕された船の数および死傷者数
抑留者数:3929人
拿捕された船の数:328隻
死傷者数:44人
死者の中には、娘が生まれたばかりの若い漁師も居た。
赤ん坊は、生後数ヶ月で父を殺された。
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韓国が卑劣であったのは、
拿捕した漁民を人質として利用し、
日韓条約を韓国に圧倒的有利な内容で締結させたことである。
>普通の事を普通に実行すればいいだけのことでしょう!
そこに企みとか意図を持たせようとするから変なことになってしまうのだろうと・・・・。
普通の事を普通と言えることが毅然たる態度につながるものと思うのですが・・・・。
(アジア回廊さまのコメントより)
これが「正しい竹島の理解」である。
私は書店でこの写真や歴史を知った。
怒りと悲しみ、そして同じ日本人として何も知らなかった苦しみで、悩んだ。
昨年は「竹島の日」にお祝いメールを送った。
こうして島根の方々の大変な苦労で「竹島の日」は設定されたのだ。
しかし日本の政府はずっと「韓国に配慮」してきて、日本人については
そのような報告も「正しい歴史の教育」もなく、何も知らないなかでいた。
今こそ、わが日本国民が知るべきではないのか。
そしてこの「竹島の日」を国内で祝うこと、また鎮魂の祈りをすることを
政治とかけひきではあまりにも悲しい。
もう政府には頼まない。
こんな政府は拉致問題も解決できないだろう。
拉致問題も長年「見て見ぬふり」をしてきたのだ。
それが日本政府だった。
参議院選挙と引き換え、景気や復興の妨げなどという発想そのものがおかしい。
国内の行事なのだ。広島や長崎の「鎮魂」もそうだ。祈りの日である。
何とひきかえに、「竹島の日」を望むだろうか。
「竹島の日」は犠牲になられた方々の鎮魂の祈りの日である。
私は怖がりで、この写真を見たとき、震えあがった。
この方々は「李承晩ライン」なるものを超えていないに関わらず、命を奪われ、
拉致投獄、凄惨な拷問を受けたのだった。
日本人が恥じるものではない。
それをした韓国が恥じるべきだ。
ベッラ・カンタービレ