★ 11月2日、大阪で三宅博衆議院議員の「国政勉強会」に参加し、最初に三宅先生のお話で、沖縄での集団自決事件の捏造や、拉致問題をはじめ国政報告を伺った。
三宅先生のお話は拉致問題でだんだん声が大きくなり、会場に鳴り響いた。(今週の水曜日、国会質疑を期待しています!!)
また、特別ゲストで「池田明義」氏のお話を約一時間伺った。
池田明義氏(元日本帝国海軍中尉 特殊潜航艇「海龍」艇長)のお話
池田先生は91歳、しかし、お話される声は凛とし、学徒出陣の時の細かい様子などくわしくその場の情景もお話され、そして驚くべきことに、その時の行進曲「抜刀隊」の旋律も力強く口ずさまれて、それが正確なことも感嘆した。
お話は最初に「11月という月は誠におめでたいとされる月です」と話された。
「11月は奇数、奇数は陽といってめでたい。 1月1日、3月3日、5月5日、7月7日、そして9月9日は重陽といい、陽が重なる、
誠にめでたい日です。
11月11日は大変めでたい日、それは私の結婚記念日です」と仰って場内を和ませられた。
「昭和18年、今から71年前、私は大学生だった。国民皆兵で、男子は20歳で兵隊検査を受けるが、大学生は将来、日本の指導者になるということで、特別に免除されていたが、当時の戦況から法科など文系の大学生は学徒出陣となった。
私はその時は『命はいらないから何とか日本に勝ってくれ』と祈り、神宮で壮行会、雨の中を分列行進、寒さなど感じなかった。
20校近くの大学が参加し、鉄砲担いでゲートルをはいて行進した。
19歳以下の在校生と女学校の生徒が真っ白な服を着て見守る中で、東條総理の話を聴いた。
10万人の人が集まって、シーンとして咳ひとつ聴こえない、
岡部文部大臣が挨拶、いよいよ出陣として陸軍音楽隊が演奏(ここでその音楽を口ずさむ池田氏の音楽の記憶の正確さ)、
退場口から退場する時に「もう帰ってこないかもしれない」と振り返る者もなく、頬は両の涙に濡れたままだった。
今までは好きな時に食べたり眠ったり、しかし明日からはそうはいかないんだ、と強く思った。
海軍精神も教わった。寝る前は洋服の埃を払い、靴を磨いてから、いつ戦いに出るかもしれないという気持ちだった。」
そこから池田氏は海軍での厳しい修行を語られた。
硫黄島に行った友人が全員帰らなかった。
ある日、司令官が全員集合と言って話をされた。
『次は本土、米軍が全部来たら日本は全滅するかもしれん、日本の特攻で半分は持つ、残りの半分は陸軍が戦ってくれる。
特攻について一晩考えるように』と。
・・・みんなで寝る前に語り合った。『半分』のために特攻に志願する・・・
その中にひとり目が悪いのがいた。検査の時、落ちたくなくてうしろにいる友人に視力検査の答えを言ってもらっていた。
私の前にいるのは17歳の少年航空兵だった。
死ぬ前に青空と草木の緑の色を見たい、どんなに美しいものだろうか、死ぬ前にそれを一目でも見ておきたい、それを見てから死のう、と
思った。
そして終戦、終戦後『お前たちは戦犯だ』と責められた。
帝国憲法が無理やりに変えられた。押し付けられた新憲法」
池田明義氏のお話の概要である。
講演が終わり、西村真悟衆議院議員が「日朝平壌宣言」を破棄せよ!その理不尽さを大声で語られた。
このことは別に「西村真悟議員のメルマガまとめて」UPしているのでそちらをご覧いただきたい。
http://blog.goo.ne.jp/bellavoce3594/e/19e39e450733c629db98d68e10e2fa8e
河野談話、村山談話だけではない、この屈辱的な「日朝平壌宣言」を破棄しなければどうにもならない、そう思う。
★ 会の終了後、私は出口へと向かったが、池田氏にご挨拶しようと引き返した、
「貴重なお話ありがとうございました。・・・」いけない、涙を必死にこらえる。
「父も大学生で出陣しました。」
「どちらへ?」
「レイテです」
「・・・今は?」
「3年前に亡くなりましたが、その日は土用丑の日で、大きな鰻を一本全部平らげてから、満足し、亡くなりました。
本人も自分が死んだことを知らないでしょう。豪快な父でした。」
・・・その日は父の大好きな国産の最高級の鰻を用意したら、私の分まで食べてしまったのだった。そしてまだご飯をおかわりし、
おいしそうにお茶を飲んで、しばらくして・・・椅子の上で眠っているのかと思っていたら、様子がおかしいので救急車を呼んだが、
大往生だったことを思う・・・
「私は十分に父の戦争の話を聴けなかった、怖かった、今日のお話は父の話を聴いているように・・・」それ以上話ができなかった。
あと一語でも話すと、涙が滝のように溢れ流れて取り返しがつかなくなる、大勢の方々の中で大泣きすることになってしまう。
お話できず、やっとうなづくだけで池田氏のほうを見た。
池田氏も優しく私をご覧になって、話が出来なくなった私に微笑まれた。
出口で三宅先生にご挨拶し、駅へといそいだ。
毎日、元気な父の夢をみる。
なぜもっとレイテの話を聴けなかったのか、怖がりだった私の臆病さに毎日後悔をしている。
池田先生、どうぞお元気で・・・
三宅先生、本日はありがとうございました。
<軍歌>抜刀隊_陸軍分列行進曲(全番歌詞付き)
学徒出陣
★ 帰宅したら、宮崎正弘氏から次のようなメルマガが届いていた。
>小笠原近海に珊瑚を盗みに来ている中国漁船、すでに200隻以上。これは第一列島線をすでに突破し、第二列島線すれすれに迫る中国の民間を装った、「軍事演習」と見るべきで、密漁は演技である。