ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

三宅博先生の「拉致問題」のお話は実践や調査を積み重ねてのことです。

2015年10月14日 | 政治
  

驚愕の真実 北朝鮮に日本人拉致事件は政府によって隠蔽されていたのか【三宅博議員】



★ 奈良「救う会」でのお話です。

2015 10 12 救う会奈良大会 


・・・16分から三宅博先生のお話です。(今回は短い)

★ 三宅先生が一年前に国会質疑されていた貴重なyoutubeをご覧ください。
  これは600回あまりしか視聴されていません。
  今こそもっと拡散すべきことですので、よろしくお願いします。


国士・三宅博『北朝鮮は若者だけ拉致し、残りは船ごと沈めた』 平成25年6月18日


北朝鮮の軍の関係者による会場での拉致、政府関係者が聴取した内容について。


西村内閣府副大臣
「情報についてお答え出来ない、情報収集の阻害になる」と答弁

三宅博議員
いつもそうなのですよ。情報収集そのものが目的になっている。
政府の目的は拉致された日本人を救出するのが目的なはずだが、本末転倒である。
海上保安庁は過去に北朝鮮の拉致事件を過去にどれほど把握していたのかお聞かせいただきたい。
証拠隠滅のためにこのようなことをしたのか、今までは陸上での拉致だったが今回は海上そのものが拉致の舞台となっている。
特定失踪者問題調査会の荒木さんから長官に要請がいっている、「証拠隠滅」のためではないか、今までは遭難事故で船が行方不明になったということだがそうでないようだ。
調査会では65名、非公開でも19名の要請が行っている。どのような認識か。

北村海上保安庁長官
平成14年から日本海側の拉致容疑の調査をしてきたが、これまでそのような実態には接していない。
5月28日の産経新聞では海保では北朝鮮軍部の幹部がそれをしたということでそれを受けて約6万9千隻ということで再調査に取り組んでいる。
海難事故は65人と19名の方について調べていく。
要請文書を頂いたが、リストを見ると海上というのが海難事故の可能性があるのではないか、と推測されるが、一件一件、古い話なので調査票や過去にいた担当者にも聞き取りをし解明につとめている。

三宅博議員
今回の脱北の軍の工作員だが、産経新聞では1980年代に5人前後の漁船を襲って、若い漁船員を拉致し、年配の人を船底に閉じ込めて船ごと沈めたという残酷極まりないことである。
これに合致する事案があると思うが。

北村海上保安庁長官
青森県を出港した宮下丸、消息不明になっている。一名については遺体発見、残り5名は発見できなかった。これ以外の海難は認定されていない。

(・・・聴くにたえない酷い事件である。)

三宅博議員
当時北朝鮮国内では党と軍が競争関係にあって張り合っていた。長官が拉致であると推測される事案を把握していなかったと言われたが、海保はそんな能力のないはずはない。
当時の多くの方々は、おそらく北朝鮮による拉致事件と把握しながら公開されなかったと私は認識している。
組織の中枢そのものを把握していたが、公開されなかった。
海保も警察も調査能力が高いに関わらず知らなかったはずはない。
昭和38年の5月、寺越さん3人が漁に出て沖合で漁船だけが漂流、3人の行方がわからなかったが、他船に衝突された傷があった。後に北朝鮮にいることがわかった。
これについてはどうか。

北村海上保安庁長官
寺越さんたちが乗っていた漁船は石川県の入港を最後に行方不明で、船体の一部が発見された。
乗組員の発見はできなかった。
我々は当時38年、衝突・当て逃げだという捜査をしていたが、当時どういう船が操行していたか捜査はしたが不明。

三宅博議員
寺越事件は昭和38年の古い事件でもあり、当時北朝鮮拉致のことは今ほど知られていなかった。
単に証拠隠滅で沈められたという理解になるが、三人のうち二人は北朝鮮に拉致したという。
寺越さん事件の事案について政府は政府認定をしていない。
「認定」という日本政府の『お墨付き』もどこで誰がどう与えているのかわからない。
寺越たけしさんは事故にあって北朝鮮に助けられて北朝鮮で幸せに暮らしている、という手紙が24年後あり、それで政府認定をしていないのか、
同じ船に乗っていた叔父のかたのご家族は「拉致」だと仰る。認定について一貫性がないが、お答えできますか?

西村内閣府副大臣
拉致被害者に認定している17名の方以外にも強力に捜査している。
ご指摘の寺越事案だが、現在においても拉致事件として認定できる証拠がないというのでそうなっている。

三宅博議員
断定するに至らないということか、認定制度そのものが矛盾に満ちたものであり、警察が証拠を固めて認定にする、それからの手順そのものが硬直した部分があって事実に即していない、或は事実認定を増やしたくない、というのが垣間見られる。
もっと真剣にいけば政府認定者はもっともっと増えて当たり前である。
次に昭和42年のけいうん丸という船が行方不明、北朝鮮の軍関係者による拉致と思われるが、やがて船は見つかっている、費用はかかるが引き上げるということはできないのか?

北村海上保安庁長官けいうん丸だが、乗っていた人は3名、小さな船だった。帰港しないというので巡視船・航空機で捜査したが、転覆船を発見、船上捜査をしたが行方不明となった4名の方を発見できなかった。
46年前の話でこの船は木造船であり、平成12年に北朝鮮の船を引き上げたことがある。
どんなやりかたがあるのか検討を続けていきたいと思う。

三宅博議員 
木造船だから原型もとどめず引き上げも困難を極めるというのはわかる。
脱北したもと幹部は一年前に韓国で日本大使館にその話をを伝えていたのに、なぜ一年間放置させられてきたのか。

外務省大臣官房参事官
それを放置するとか、たなざらしにするということはない。

三宅博議員
放置していたから一年間そのまま放ったらかしていたのでしょう?
政府は認定被害者を増やさない、拉致被害者は相当数ですよ。
日本海側だけでなく太平洋側、また赤軍派によるヨーロッパルート、
南米ルートもある。こういったものを総合すると北朝鮮に相当数がやられているはず。
全容解明が必要。
事件を矮小化するのはいかがなものか。(以上)

★ このyoutubeは600回あまりしか閲覧されていない。
  今でこそ、拡散すべき話でもあるので、ここにUPしました。
  ご自身の保身など露ほどもない真正保守の三宅先生、すべては身体をはった「実践」「調査」が発言の強さを増します。


≪寺越事件≫について・・・(特定失踪者調査会の荒木和博氏のサイトより)
http://araki.way-nifty.com/araki/2013/05/post-ab51.html

この事件は寺越昭二さん・外雄さん・武志さんの3人が乗った漁船「清丸」が能登半島の福浦港を出て消息を絶ち、船は漂流していたのが見つかったものの3人はおらず、当時は遭難とされて戸籍も抹消された事件です。しかし現実には拉致で、24年後に外雄さんから家族に手紙が届き、北朝鮮にいることが分かりました。

 この事件では工作船と遭遇したので証拠隠滅のために2人を拉致し、昭二さんは殺害して海に沈めたと言われています(北朝鮮の発表では3人とも遭難していたのを北朝鮮の船が救助し北朝鮮に連れてきたことになっている)。





コメント (4)
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英雄、再び戦場に・・・マスネ作曲『ル・シッド』のオペラから、マリオ・デル・モナコの名唱

2015年10月14日 | 政治

カスティーリヤの英雄エル・シッドは暗愚な王に嫉妬され追放されたりするが、それは王を救ったのに「救援に来るのが遅れた」ということで、遅れたのは王が自分よりも優れた将軍であるエル・シッドのジャマをしたせいであった。
しかし、それでも祖国の為に戦うエル・シッドに人々は心を寄せるようになる。


マリオ・デル・モナコの名唱でお聴きください。
負け戦になるような戦いでもエル・シッド(オペラではフランス語で「ル・シッド」)は
神に祈り出陣を決意します。

Mario del Monaco - Massenet -Le Cid- Ah! tout est bien fini...


そして、結果は「勝利」でした。


WIKIによると・・・

>・・・「エル・シッドとイスラーム教徒」

レコンキスタの『英雄』として見られることの多いエル・シッドだが、現実の彼は反イスラーム主義ではなくイスラーム教徒とも親しく付き合っていた。また追放されていた最中には、サラクスタのタイファ、アル=ムクタディル(スペイン語版、英語版) (al-Muqtadir) の元に身を寄せ、その息子、孫3代に仕えてアラゴン王国への侵攻の指揮などをとっている。



★ ところで自民党の見解にはガックリですよ。なんですか?これは!
なぜ日本に不利なこと、しかも正確でないことを付け加えるのでしょうね。
>・・・「 南京事件に関して「確かに南京で非戦闘員殺害や略奪行為があったことは
認めるが、(犠牲者の)人数にはいろんな議論がある」




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