★ 24日、大阪の「勝兵塾」で講演されたひとり、ウクライナから京都大学大学院に留学されているアンドリー氏。
講演の後、講演内容とは別にウクライナの英雄「マゼッパ」についてお伺いしてみたのです。
この方はよく「勝兵塾」で講演されている。いつも祖国ウクライナのこと。
★ アンドリー氏は「マゼッパ」などという私の突然の質問に「マゼッパが武力で立ち上がったのは事実です」と仰いながらも戸惑われたようで申し訳なく思います。
リストが作曲している交響詩『マゼッパ』を名ピアニストであったリストが「超絶技巧エチュード」の中でピアノ曲としても書いている。私はこの曲が大好きです。
WIKIによると・・・
マゼッパ(Mazeppa)とは、ウクライナ系の姓であるマゼーパ(Мазепа;Mazepa)に因んだ名称である。しばしばその姓を表す他、以下のようなものに使用される。
イヴァン・マゼーパ(Іван Мазепа) - ウクライナ・コサックのヘーチマン(注・頭領)。
ウクライナの繁栄に寄与したが、「ポルタヴァの戦い」でロシアに敗れ、祖国を追われた。
「ポルタヴァの戦い」とは・・・WIKIより
ポルタヴァの戦い(ウクライナ語: Полтавська битва;スウェーデン語: Slaget vid Poltava;ロシア語: Полтавская битва)は、1709年6月27日(新暦7月8日)、東ウクライナのポルタヴァで行われたロシアとスウェーデンの大北方戦争における最大の戦い。カール・グスタフ・レーンスケルド率いるスウェーデン軍と、ピョートル1世率いるロシア軍が交戦し、ロシア軍が勝利した。
この戦闘の後、スウェーデンは軍事的優位を喪失した。大戦争の行方を決した会戦といえるだろう。なお、カール12世は負傷のために直接指揮を執っておらず、これが敗因の一つになったとされる。また、スウェーデン軍にはウクライナ・コサックのイヴァン・マゼーパ(注・マゼッパのこと)も参加していた。
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・・・深い文化のお話ができるのは三宅博先生だった。
政治や歴史、そして芸術に対する感性は実際にお話して心打たれ、そして拉致問題や国防に関して鋭い判断をされている。日本の宝である。
★ 「真正保守」三宅博先生に♪
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リスト作曲 「マゼッパ」ピアノ版 ピア二ストはトゥリフォノフ
Trifonov - Liszt: Etude No. 4 - Mazeppa (live at Carnegie Hall)
・・・これが真正のリスト超絶技巧だ。特にフィナーレの輝かしい音色、大胆な奏法に感動。
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・・・靖国神社にて、西村眞悟氏と三宅博氏