その後の『ロンドン テムズ川便り』

ことの起こりはロンドン滞在記。帰国後の今は音楽、美術、本、旅行などについての個人的覚書。Since 2008

ウィリアム・シェイクスピア/ 福田恆存 訳 『マクベス』 (新潮文庫)

2017-01-10 08:00:00 | 


 特段の理由はないが、近ごろ、「マクベス」がマイブーム。オペラや映画のDVDをせっせと借りては見ている。正月に実家に帰ったら、福田恆存による訳本があったので、過去に小田嶋雄志訳しか読んだことがないので、三が日を使って読んでみた。

 小田島訳と比較すると、福田訳は固い印象を受けた。試しに、有名な第5幕第5場のマクベス夫人の訃報に接したマクベスのセリフを比較してみる。一目瞭然だが、福田訳は特に散文調で書かれている一方で、小田島は原典のように区切っている。実際の訳そのものは、素人目にはさほど違いがあるように見えないが、受ける印象は随分違う。

 ただ今回の結論は、和訳の比較をするぐらいなら、原文読んで作品の持つリズムや意味合いを体で感じた方が面白そうだということに落ち着いた。

【英語】
She should have died hereafter;
There would have been a time for such a word.
To-morrow, and to-morrow, and to-morrow,
Creeps in this petty pace from day to day,
To the last syllable of recorded time;
And all our yesterdays have lighted fools
The way to dusty death. Out, out, brief candle!
Life's but a walking shadow, a poor player,
That struts and frets his hour upon the stage,
And then is heard no more. It is a tale
Told by an idiot, full of sound and fury,
Signifying nothing.


【福田訳】
「あれも、いつかは死なねばならなかったのだ。一度は来ると思っていた、そういう知らせを聞く時が。あすが来、あすが去り、そうして一日一日と小きざみに、時の階を滑り落ちて行く、この世の終わりに辿り著くまで。いつも、きのうという日が、愚か者の塵にまみれて死ぬ道筋を照してきたのだ。消えろ、消えろ、つかの間の燈火! 人の生涯は動きまはる影にすぎぬ。あわれな役者だ、ほんの自分の出場のときだけ、舞台の上で、みえを切つたり、喚いたり、そしてとどのつまりは消えてなくなる。白痴のおしゃべり同然、がやがやわやわや、すさまじいばかり、何のとりとめもありわせぬ。」

【小田島訳】
あれもいつかは死なねばならなかった、
このような知らせを一度は聞くだろうと思っていた。
明日、また明日、また明日と、時は
小きざみな足取りで一日一日を歩み、
ついには歴史の最後の一瞬にたどりつく、
昨日という日はすべておろかな人間が塵と化す
死への道を照らしてきた。消えろ、消えろ、
つかの間の燈火! 人生は歩き回る影法師、
あわれな役者だ、舞台の上でおおげさにみえをきっても
出場が終われば消えてしまう。白痴のしゃべる物語だ、
わめき立てる響きと怒りはすさまじいが、
意味はなに一つありはしない。

コメント
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