その後の『ロンドン テムズ川便り』

ことの起こりはロンドン滞在記。帰国後の今は音楽、美術、本、旅行などについての個人的覚書。Since 2008

広島・呉旅行(1):平和を祈る

2018-05-09 07:30:00 | 旅行 日本

≪新幹線の車窓から見るマツダスタジアム≫

昨年、GWに計画していた広島旅行は諸事情でキャンセルせざる得なかったので、今年こそはという強い思いをもって実現にこぎつけました。広島は過去に出張で半日滞在したことがありますが、空港と会議室の往復だけだったので、実質、初めてです。途中、新幹線沿いの火事(のぞみの窓越しですが、線路高架のすぐ脇で家が燃えてました)の影響で、定刻より20分ほど遅れて、昼下がりに到着。

ホテルに荷物を置いて、まずは「平和」祈念ということで、原爆ドーム、広島平和記念公園のエリアを散策しました。眩しいぐらい太陽が輝く好天だったのに加えて、フラワーフェスティバルというお祭りが開催されていて、凄い人出と賑わいでした。街の所々にステージが設置され、ミニコンサートやダンスやらの出し物が披露され、町中が浮ついた雰囲気満載。


≪原爆ドーム≫

なので、原爆ドームも、観光客が勝手に思い描いた厳粛な「平和祈念」などという想像とは程遠い雰囲気ではありました。観光客はピース・サインで記念撮影をしているし、地元の人たちは、祭りの出店で買った生ビール飲んだり、アイスクリームを舐めたりしながら歩いていきます。でも、これが活きた街の日常なのでしょうね。地元の人だって、年がら年中、追悼したり、平和を祈念しているわけではないし、カーブの勝利に酔い、お祭りでは大騒ぎするわけです。


≪平和の鐘≫


≪原爆の子の像≫

リニューアル中で見学エリアが制限されている広島平和記念資料館も凄い人出で、落ち着いて原爆について振り返るという空気ではありませんでした。ただ、当時の写真パネルや遺留品を見ながら、一つ強烈に感じたのは、今まさに国際政治の中で議論されている北朝鮮やイランの核を巡るパワーゲームの議論と70年以上前に実利用された原爆の被害の悲惨さとのギャップ。現実に核兵器を持ち、利用する力を持つということが、一人一人の人間にどのような影響を与えるのかが、どこまで考えられているのか。リアリティの重みに押しつぶされそうな気持になります。


≪東京の美術展並みの混雑≫

資料館を見学した後は、同じ公園内にある国立広島原爆死没者追悼平和祈念館を訪れました。こちらは一転、訪れる人も少なく、落ち着いた雰囲気で、追悼や平和祈念の気持ちになれる場所です。丁度、「星は見ている―全滅した広島一中一年生父母の手記集」という企画展が開催中で、多くの犠牲者が出た広島一中の生徒の遺族の手記を紹介したビデオが流されていました。


≪祈念館入口≫


≪平和祈念・死没者追悼空間≫

私としては、平和記念公園への訪問は朝か夜をお勧めします。朝のジョギング、夜の散歩でも訪れましたが、落ち着いた公園の佇まいの良さを感じ、平和と自分に向き合う時間・空間に身を置くには、この時間帯がベストです。


≪早朝の原爆死没者慰霊碑≫


≪夜の原爆ドーム≫




≪資料館前の広場≫

(つづく)
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