その後の『ロンドン テムズ川便り』

ことの起こりはロンドン滞在記。帰国後の今は音楽、美術、本、旅行などについての個人的覚書。Since 2008

ブレイディ・みかこ『子どもたちの階級闘争――ブロークン・ブリテンの無料託児所から』(みすず書房、2017)

2021-04-04 07:30:22 | 

筆者のイギリス「底辺」レポートを読むのは、『僕はイエローでホワイトで、ちょっとブルー』、『ワイルドサイドをほっつき歩け ――ハマータウンのおっさんたち』に続いて3冊目。本書は、筆者が働く「底辺」託児所(平均収入、失業率、疾病率が全国最悪の水準1%に該当する地区にある託児所なので筆者がつけたニックネームだが、本書の前半で筆者は、緊縮財政の影響をダイレクトにうけた「緊縮」託児所と呼び直している)」での体験をもとに、前半が緊縮財政真っ只中の2015-2016、後半は遡って2008-2009の時期の「底辺」託児所日記である。

時期が入れ替わっているのは、労働党が政権を失い保守党が緊縮政策を取った2010年を境に、政策が託児所に与えた影響がビフォー/アフターでより鮮明に浮かび上がってくるからだ。筆者が、緊縮時代を経て見えた「底辺」託児所の世界は、ビフォーにあった「下側の者たち」のコミュニティが崩壊、「下側の者たち」の分裂した社会だった。保育士としての職業経験を通じたイギリス社会・政治の観察と分析は、地に足がついたリアリティ抜群の社会時評である。

ページをめくる手が止まらない。個々のエピソードが笑い、驚き、ため息、諦め、憤りに満ちており、それを疑似体験できる。小説よりも波乱万丈ではと思わせる関係者の人生や生活の一面に触れることができるのが、本書の面白さの一つだ。また、そうしたエピソードを通じた筆者の受け止めや感性ははっとさせられるものが多い。

例として2つほど引用すると。

「子どもをサポートするということは、その親をサポートするということです」・・・それは花柄の理想論でも無ければ、政治家のレトリックでもない。現場で母獣たちの背中をさすっている人間だけが吐ける、リアルな児童保護論なのだ。(p220)

「政治は議論するものでも、思考するものでもない。それは生きることであり、暮らすことだ。そう私が体感するようになったのは、託児所で出会ったさまざまな人々が文字通り政治に生かされたり、苦しめられたり、助けられたり、ひもじい思いをさせられたりしているからだ。」(p282)

一つ気になるのは、筆者が職業上知り得た情報や出来事をここまで赤裸々に公にしていいものなのだろうか、という守秘性の問題だ。赤裸々なので等身大のリアリティ抜群のエッセイになっているのだが、(もともとは筆者のブログ記事をもとにしているらしいが、)日本に居たら日本語で職場のことをここまでは書けないだろうし、イギリスにおいても英語でここまでのレポートが書けるのだろうか?取材ではないので、登場する人たちの許諾を得ているとも思えない。まあ、私が気にすることではないのだが、私自身、ロンドン在住時に職場で起こったことをブログで紹介するのに、何をどこまで書いていいものやらと随分悩んだので、本書のオープンな内容・編集には、有難いと思う反面、ほんとにいいんだろうかと心配になった。

いずれにせよ、本書はイギリス社会、そしてイギリスを鏡とした日本を考えるのに絶好の一冊であることは間違いない。強くお勧めできる一冊だ。

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