★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

カツカレーと唐揚げ

2016年07月06日 19時55分03秒 | 徒然(つれづれ)
 大学時代に旨いカツカレーと唐揚げを食べて以来、カツカレーと唐揚げが好きになった。
 遥か昔のことで、どこで食べたのかは忘れてしまった。
 こんなに旨いものがあったのか、という記憶だけが残っている。
 大学時代だから、食欲旺盛で、何を食べても旨かったのかも知れないが、それを差し引いても旨いという記憶は鮮明だ。

 それ以来、事あるごとに食べるのだが、あれほど旨いカツカレーと唐揚げに、お目にかかったことがない。
 カツカレーについて言えば、カレーの旨い店やトンカツの旨い店はあるのに、そこで食べるカツカレーは、不味くはないが、旨くないのだ。
 カレー屋のカツカレーはカツがイマイチだし、トンカツ屋はカレーがイマイチなのだ。
 いっそコラボしてくれたらいいのにと思う。
 両方をテイクアウトすればいいのだが、そこまでのモチベーションはない。
 だから、カツカレーを食べたい時は、味覚がカレー寄りの時はカレー屋、トンカツ寄りの時はトンカツ屋にして、我慢しているのが現状だ。
 
 唐揚げについては、今日び専門店が乱立していて、それぞれのオリジナリティを打ち出しているが、これといった決め手に欠ける感がある。
 どれも不味くはないのだが、旨いとは言い難い。
 私の好みは皮を包む衣が、焦げ過ぎくらいのカリッカリで、中身はしっかりと味が染み込んだヤツだ。
 味は塩コショウだけでなく、醤油やニンニク、鶏がらスープ、あるいは出汁味など、深みとコクのエッセンスが必要だ。
 唐揚げとはちょっと違うが、ケンタッキー・フライドチキンの皮の味が好きだ。
 身はパサパサで味も素っ気もないから嫌いだけどね。
 日本の唐揚げも、ケンタの皮の味を取り入れたら、パーフェクトなのにね。
 
 そんなわけで、私の究極のカツカレーと唐揚げに巡り会う旅は、今後も当分続きそうだ。
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たかが競馬、されど競馬

2016年07月06日 18時36分52秒 | 競馬
 私にとって競馬とは何だろう。
 もう、かれこれ40年以上、馬券を買い続けている。
 使った金額は1千万円に近いはずだ。

 興味がなければ、こんなにも長期間続かないだろう。
 何が私をそこまで惹きつけるのだろう。
 馬に限らず、犬猫、畜生の類いは、飼ったこともなければ、好きでもない。
 サラブレッドの血統にも興味はない。
 では、金儲けや投資かというと、負けた金額からしても、そうではない。

 じゃあ、何なんだ、何が目的なんだ。
 強いて言えば、小金稼ぎとでもいえようか。
 もちろん、予想するのも楽しいし、その通りに決着すれば嬉しい。
 ことにGⅠレースは、2、3日前から予想をする。

 ネットで必勝法のブログを見たり、自分でもあれやこれや考えたが、結論として、必勝法など存在しない。
 ならば、いかに負けを少なくするかだ。
 全敗ということは、ありえないし、イメージ的には10回に1回ほど、それまでの負け分の何割かを取り戻している計算になる。
 もちろん、年間トータルすると負けだが。

 得てして、競馬好きは、負けた分はすぐに忘れて、いつもゼロスタートに針を戻しているものだ。
 だから、勝った時は、それまでの負け分のことなど頭にない。
 これは人生にも言えることだ。悲しいこと、苦しいことは、楽しいことや嬉しいことがあれば、忘れてしまうものだ。
 だから、その忘れる負け分を少なくするために、買う限度を厳守することが大切なのだ。
 
 具体的には、10回のうちの1回の当たりの前には、何らかの予兆があるはずだから、それを逃さず、あとは決まった金額の分負けたらいいのだ。
 予兆というのは、勝つ時だけでなく、負ける時にもあるが、なかなかつかまえることが難しい。
 それは仕方がないと割り切ればいい。

 いずれにしても10回に1回は勝つのだから、その見極めをできる経験の積み重ねが必要だ。
 40数年の経験ではまだ不足みたいだ。
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