本日の京都競馬のメインレースは日経新春杯だ。
長年の競馬ファンなら誰しも感慨深いレースのはずだ。
昭和53年1月22日。
同志社大学5回生の私は年明けにもかかわらず、まだ就職も決まらず悶々とした日々を過ごしていた。
ほとんどの同級生は前年4回生で卒業して就職しており、私は無駄に5回生の日々を過ごしてきた。
そんな私がハマっていたのが競馬だった。
貧乏学生ゆえに大金を賭けることはなかったが、毎週メインレースに小金を賭けていた。
その日のメインレースが日経新春杯だった。
そのレースは前年の有馬記念を制して海外遠征に向かうテンポイントの壮行レースだった。
その時のテンポイントの斤量は、現在ではありえない66.5kgというとんでもない酷量だった。
私は祇園の場外馬券売り場でテンポイントとエリモジョージの枠連馬券を買い、下宿に帰ってテレビ観戦していた。
結果は後々まで語り継がれる「テンポイントの悲劇」で終わった。
詳細はいろんなところで語られているので、それらの記述に譲るが、毎年この時期になるとあの悲劇のシーンとそれに続くドラマを思い出す。
ライスシャワー、サイレンススズカと悲劇の名馬はいるが、その端緒はテンポイントだ。
日経新春杯、テンポイントの弔いレースだ。
それにしても私の競馬歴は長いなあ。
長年の競馬ファンなら誰しも感慨深いレースのはずだ。
昭和53年1月22日。
同志社大学5回生の私は年明けにもかかわらず、まだ就職も決まらず悶々とした日々を過ごしていた。
ほとんどの同級生は前年4回生で卒業して就職しており、私は無駄に5回生の日々を過ごしてきた。
そんな私がハマっていたのが競馬だった。
貧乏学生ゆえに大金を賭けることはなかったが、毎週メインレースに小金を賭けていた。
その日のメインレースが日経新春杯だった。
そのレースは前年の有馬記念を制して海外遠征に向かうテンポイントの壮行レースだった。
その時のテンポイントの斤量は、現在ではありえない66.5kgというとんでもない酷量だった。
私は祇園の場外馬券売り場でテンポイントとエリモジョージの枠連馬券を買い、下宿に帰ってテレビ観戦していた。
結果は後々まで語り継がれる「テンポイントの悲劇」で終わった。
詳細はいろんなところで語られているので、それらの記述に譲るが、毎年この時期になるとあの悲劇のシーンとそれに続くドラマを思い出す。
ライスシャワー、サイレンススズカと悲劇の名馬はいるが、その端緒はテンポイントだ。
日経新春杯、テンポイントの弔いレースだ。
それにしても私の競馬歴は長いなあ。