★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

耐寒勝負第2ラウンド

2020年11月19日 18時17分46秒 | 徒然(つれづれ)
 夕方風呂代わりのシャワーを浴びたら、昨日よりお湯が熱い。
 季節外れの夏日のせいかと思っていたら、設定温度が1℃上がっていた。
 家内が上げたのだ。

 暖房便座に続き、耐寒第2ラウンドも私の勝利だ。
 さすがにコタツはまだ稼働させてはいない。
 第3ラウンドの決着は、気温が平年並みになる来週あたりになりそうだ。

 巷ではコロナの感染者数が軒並み最多を更新中だ。
 テレビは最多、最多とまるでチューリップの花だ。

 感染者数もさることながら、重症化率、死亡率を周知させるべきだ。
 多分、それらの率は第1波や2波に比べて低く、コロナ禍の対策訴求効果に欠けるからだろう。

 巷でも、感染力の強まりは認識しても、重症化率、死亡率については楽観している感がある。
 政府も同様の認識なのだろう。
 経済を止める気配はない。
 Go Toキャンペーンも中止する様子はない。

 都知事の緊急会見でも、厳しい対策、目新しい対策を発表するわけでもない。
 マスクにうがい、消毒に三密の順守と、わかり切ったことを淡々と述べるだけだ。

 もう短期でコロナが収束することはないだろう。
 インフルエンザと同じ程度の認識になるのを座して待つのみで、長期化は避けられそうにない。
 願わくば、突然変異により重症化が高まることだけは避けたいものだ。
 


★★小説読んだりするのは時間の無駄、なんて思っていた読書ド素人の私が、思いつき、見よう見真似、小説作法無視で書いた小説を、Amazon Kindle Storeに30数冊アップしています。そんな小説だから読書のプロやマニアよりも、読書ド素人の皆さんに読んでほしい。 ド素人の小説がミリオンセラーになったら面白いと思いませんか? 小説のベストセラーの常識を覆すためにもぜひご一読、拡散を。★★ 拙著電子書籍ラインナップ・ここから買えます。
 読後のカスタマーレビューをいただけたら幸いです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「トロッコ」再読

2020年11月19日 12時33分31秒 | 徒然(つれづれ)
 芥川龍之介の短編「トロッコ」は、我々の世代だと中学の教科書で習った記憶がある。
 田舎の少年が土工たちとトロッコで遠くまで来たが、その土工たちが現場泊まりで、ひとりで遥かに遠い夕暮れの道のりを、村まで歩いて帰らなければならなくなった時の、パニックにも似た心情を活写している。

 中学生だった私は、その少年にとっての遠い距離感や、帰路の恐怖や不安には今ひとつ感情移入できなかった。
 日が暮れようが、トロッコの線路伝いに歩いて行けば、家まで帰れるのに、何を焦っているのだろう、くらいの感覚だった。
 以下に「トロッコ」の後半を抜粋する。
 

「われはもう帰んな。おれたちは今日は向う泊りだから」
「あんまり帰りが遅くなるとわれの家でも心配するずら」
 良平は一瞬間呆気にとられた。
 もうかれこれ暗くなる事、去年の暮母と岩村まで来たが、今日の途はその三四倍ある事、それを今からたった一人、歩いて帰らなければならない事、――そう云う事が一時にわかったのである。
 良平は殆ど泣きそうになった。が、泣いても仕方がないと思った。泣いている場合ではないとも思った。
 彼は若い二人の土工に、取って附けたような御時宜をすると、どんどん線路伝いに走り出した。

 良平はしばらく無我夢中に線路の側を走り続けた。
 その内に懐の菓子包みが、邪魔になる事に気がついたから、それを路側へ抛り出すついでに、板草履も其処へ脱ぎ捨ててしまった。
 すると薄い足袋の裏へじかに小石が食いこんだが、足だけは遙かに軽くなった。
 彼は左に海を感じながら、急な坂路を駈け登った。
 時時涙がこみ上げて来ると、自然に顔が歪んで来る。――それは無理に我慢しても、鼻だけは絶えずくうくう鳴った。

 竹藪の側を駈け抜けると、夕焼けのした日金山の空も、もう火照りが消えかかっていた。
 良平は、いよいよ気が気でなかった。
 往きと返りと変るせいか、景色の違うのも不安だった。
 すると今度は着物までも、汗の濡れ通ったのが気になったから、やはり必死に駈け続けたなり、羽織を路側へ脱いで捨てた。

 蜜柑畑へ来る頃には、あたりは暗くなる一方だった。
「命さえ助かれば――」良平はそう思いながら、すべってもつまずいても走って行った。
 やっと遠い夕闇の中に、村外れの工事場が見えた時、良平は一思いに泣きたくなった。
 しかしその時もべそはかいたが、とうとう泣かずに駈け続けた。

 彼の村へはいって見ると、もう両側の家家には、電燈の光がさし合っていた。
 良平はその電燈の光に、頭から汗の湯気の立つのが、彼自身にもはっきりわかった。
 井戸端に水を汲んでいる女衆や、畑から帰って来る男衆は、良平が喘ぎ喘ぎ走るのを見ては、「おいどうしたね?」などと声をかけた。
 が、彼は無言のまま、雑貨屋だの床屋だの、明るい家の前を走り過ぎた。

 彼の家の門口へ駈けこんだ時、良平はとうとう大声に、わっと泣き出さずにはいられなかった。
 その泣き声は彼の周囲へ、一時に父や母を集まらせた。
 殊に母は何とか云いながら、良平の体を抱かかえるようにした。が、良平は手足をもがきながら、すすり上げすすり上げ泣き続けた。
 その声が余り激しかったせいか、近所の女衆も三四人、薄暗い門口へ集って来た。

 父母は勿論その人たちは、口口に彼の泣くわけを尋ねた。
 しかし彼は何と云われても泣き立てるより外に仕方がなかった。
 あの遠い路を駈け通して来た、今までの心細さをふり返ると、いくら大声に泣き続けても、足りない気もちに迫られながら。

 良平は二十六の年、妻子と一緒に東京へ出て来た。
 今では或雑誌社の二階に、校正の朱筆を握っている。が、彼はどうかすると、全然何の理由もないのに、その時の彼を思い出す事がある。
 全然何の理由もないのに?――塵労に疲れた彼の前には今でもやはりその時のように、薄暗い藪や坂のある路が、細細と一すじ断続している。


 物語自体は26歳になった主人公の回想だ。
 今読み返してみると、少年の恐怖にも似た帰路の焦燥や、家に帰り着いた時のカタルシスが、切なくも懐かしい痛みのように感じられる。
 そして26歳の主人公の、今の人生の焦燥が、子供の時のあの焦燥感に似ているのを痛切に感じさせられる。
 そこにカタルシスは訪れるのだろうか。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする