故郷は遠きにありて思うもの、とはよくいったものだ。
この遠きは、距離的なものもあるだろうが、多分に時間的、記憶的な遠さだろう。
歳をとると、昔、それも幼少の頃の記憶がしばしば甦ってくるものだ。
私の故郷は九州の西の辺境の村だ。
東は海、西は山に挟まれた国道沿いの長さ400m、幅150mほどの狭い地域に、100戸ほどの民家があった。
まだ舗装されていなかった国道に沿って鉄道が走っていた。その鉄道を走るのはもちろん蒸気機関車だ。
村にはお寺と病院が1軒、雑貨屋を兼ねた駄菓子屋が4軒、床屋が1軒、魚屋が2軒あった。
漁師村で、住民の大半は漁師か兼業農家だった。
近くには炭鉱があったので、兼業はほとんど炭鉱従事者だった。
うちは両親が小学校の教師で、村では異色だった。
当時の教師は坊主、医者と並び、地元の住民からは一目置かれる存在だった。
昭和30年代は好景気の真っ只中で、家はほとんどが一戸建てで内風呂もあった。
我が家の間取りも明確に覚えている。
国道と鉄道に挟まれた、平屋の一戸建ての貸家で、今でいう3DKで、そこに両親と母方の祖母、私と弟が住んでいた。
狭い台所は土間で、かまどがあったのも覚えている。
食卓は巨人の星に出てくるような円い卓袱台だった。
電化製品は、当初はラジオとコタツだけだったが、そのうちにテレビや洗濯機、電気釜や冷蔵庫、掃除機と増えていった。
家の裏には祖母が育てていたトウモロコシや野菜畑があった。
その畑を抜けて、夏には目と鼻の先の海に泳ぎに行った。
近くにあった父方の祖父の家が本家で漁師だったので、何度か漁についていったこともある。
夏の花火大会も隣村の漁港で行われていたので、祖父の船で見に行ったものだ。
そんな昔の記憶が、この頃は日に日に鮮明になってきている。
一種のフラッシュバック現象なのだろうか。
この遠きは、距離的なものもあるだろうが、多分に時間的、記憶的な遠さだろう。
歳をとると、昔、それも幼少の頃の記憶がしばしば甦ってくるものだ。
私の故郷は九州の西の辺境の村だ。
東は海、西は山に挟まれた国道沿いの長さ400m、幅150mほどの狭い地域に、100戸ほどの民家があった。
まだ舗装されていなかった国道に沿って鉄道が走っていた。その鉄道を走るのはもちろん蒸気機関車だ。
村にはお寺と病院が1軒、雑貨屋を兼ねた駄菓子屋が4軒、床屋が1軒、魚屋が2軒あった。
漁師村で、住民の大半は漁師か兼業農家だった。
近くには炭鉱があったので、兼業はほとんど炭鉱従事者だった。
うちは両親が小学校の教師で、村では異色だった。
当時の教師は坊主、医者と並び、地元の住民からは一目置かれる存在だった。
昭和30年代は好景気の真っ只中で、家はほとんどが一戸建てで内風呂もあった。
我が家の間取りも明確に覚えている。
国道と鉄道に挟まれた、平屋の一戸建ての貸家で、今でいう3DKで、そこに両親と母方の祖母、私と弟が住んでいた。
狭い台所は土間で、かまどがあったのも覚えている。
食卓は巨人の星に出てくるような円い卓袱台だった。
電化製品は、当初はラジオとコタツだけだったが、そのうちにテレビや洗濯機、電気釜や冷蔵庫、掃除機と増えていった。
家の裏には祖母が育てていたトウモロコシや野菜畑があった。
その畑を抜けて、夏には目と鼻の先の海に泳ぎに行った。
近くにあった父方の祖父の家が本家で漁師だったので、何度か漁についていったこともある。
夏の花火大会も隣村の漁港で行われていたので、祖父の船で見に行ったものだ。
そんな昔の記憶が、この頃は日に日に鮮明になってきている。
一種のフラッシュバック現象なのだろうか。
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