★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

故郷の記憶

2022年10月27日 12時39分43秒 | 徒然(つれづれ)
 故郷は遠きにありて思うもの、とはよくいったものだ。
 この遠きは、距離的なものもあるだろうが、多分に時間的、記憶的な遠さだろう。

 歳をとると、昔、それも幼少の頃の記憶がしばしば甦ってくるものだ。
 私の故郷は九州の西の辺境の村だ。

 東は海、西は山に挟まれた国道沿いの長さ400m、幅150mほどの狭い地域に、100戸ほどの民家があった。
 まだ舗装されていなかった国道に沿って鉄道が走っていた。その鉄道を走るのはもちろん蒸気機関車だ。

 村にはお寺と病院が1軒、雑貨屋を兼ねた駄菓子屋が4軒、床屋が1軒、魚屋が2軒あった。
 漁師村で、住民の大半は漁師か兼業農家だった。
 近くには炭鉱があったので、兼業はほとんど炭鉱従事者だった。

 うちは両親が小学校の教師で、村では異色だった。
 当時の教師は坊主、医者と並び、地元の住民からは一目置かれる存在だった。

 昭和30年代は好景気の真っ只中で、家はほとんどが一戸建てで内風呂もあった。
 我が家の間取りも明確に覚えている。
 国道と鉄道に挟まれた、平屋の一戸建ての貸家で、今でいう3DKで、そこに両親と母方の祖母、私と弟が住んでいた。

 狭い台所は土間で、かまどがあったのも覚えている。
 食卓は巨人の星に出てくるような円い卓袱台だった。 
 電化製品は、当初はラジオとコタツだけだったが、そのうちにテレビや洗濯機、電気釜や冷蔵庫、掃除機と増えていった。

 家の裏には祖母が育てていたトウモロコシや野菜畑があった。
 その畑を抜けて、夏には目と鼻の先の海に泳ぎに行った。

 近くにあった父方の祖父の家が本家で漁師だったので、何度か漁についていったこともある。
 夏の花火大会も隣村の漁港で行われていたので、祖父の船で見に行ったものだ。

 そんな昔の記憶が、この頃は日に日に鮮明になってきている。
 一種のフラッシュバック現象なのだろうか。
 

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