★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

日曜の夕方の憂鬱

2024年02月04日 16時12分24秒 | 徒然(つれづれ)
 日曜日の競馬が終わった。
 例によって負けだ。

 在職中だったら、結構なダメージと、翌日からの仕事に対する憂鬱が湧き上がってきたものだ。
 その憂鬱は少なからずストレスとなった。
 そして、そのストレスにより、確実に寿命が何時間か、下手をすると何日間かは縮んでいたはずだ。

 定年退職後の現在は、負けのダメージは多少は残るものの、日曜の夕方の憂鬱とは無縁だ。
 寿命が延びることはないにしても、縮むことはないはずだ。

 些細なことだが、これも定年退職のプラス面だろう。
 定年退職の功罪は多々あるだろうが、一般的にはマイナス面のほうにスポットが当たりがちだ。
 経済面はもちろん、人付き合いの減少による寂寥感や、心身面でのモチベーションの低下などだ。

 仕事への依存度が高かった人間ほど、その傾向は顕著なようだ。
 私のような、仕事が嫌で出不精、人付き合いが億劫な人間は、仕事関連のマイナス面がなくなったことのほうが大きい。

 定年にはまだほど遠いサラリーマンとっては、明日からの仕事のことを考えると、日曜の夕方はテンション下がりまくりだろう。
 毎日が日曜日の私は、ハイテンションとまではいかなくとも、平穏であることは間違いない。

 それはいいことだろう。
 

ビートルズのジョージ、ストーンズのキース。どちらもヘタウマギタリストだ。キースに至っては、歳をとってその素人顔負けのヘタさに磨きがかかってきた。しかしそのサウンドには、他のギタリストには出せない独特な味わいがある。 そんな味わいの小説を、Amazon Kindle Storeに30数冊アップしています。★★ 拙著電子書籍ラインナップ・ここから買えます。
 読後のカスタマーレビューをいただけたら幸いです。

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カツ丼マイブーム

2024年02月04日 12時32分17秒 | 徒然(つれづれ)
 丼物というのは、日本独特の料理文化だろう。
 ご飯と料理を別々に食べるのが一般的だったものを、時短や面倒さを考慮して、かつ気取りを排除して生まれたのが丼物だ。

 その代表的なものが、牛丼、カツ丼、親子丼、天丼、鰻丼だろう。
 もっと裾野を広げると、玉子丼、きつね丼、豚丼、海鮮丼、鉄火丼、カレー丼、焼肉丼、中華丼、天津丼、麻婆丼、ローストビーフ丼などバリエーションは多岐にわたる。

 その中でも、牛丼の次の二番手はカツ丼だろう。
 牛丼が世を席巻するまでは、庶民の丼物の人気ランキングではトップだった。

 天丼や鰻丼はネタが上等すぎて、ご飯とのバランスが釣り合わない。
 カレー丼はカレーライスの亜流で無理矢理感があり、海鮮丼や鉄火丼は寿司の派生だ。

 その点カツ丼は丼物の中では、一番、ボリュームがあり、スタミナがつきそうだ。
 価格もリーズナブルで、庶民にはピッタリだ。

 今日も、ブランチになか卯のカツ丼を食べてきた。
 私の中では、カツ丼がちょっとしたマイブームになっている。

 カツ丼にもバリエーションがあり、ソースカツ丼、たれカツ丼、味噌カツ丼、デミカツ丼などがあるが、やはり卵でとじた普通のカツ丼が一番だ。
 カツと玉子の相性も抜群で、取調室で出されたり、長い刑期を終えて真っ先に食べるというのも頷ける。

 カツも専門店の上等な豚カツでなく、巷の大衆食堂のチープな豚カツで十分だ。
 上手さの決め手は、卵の量や混ぜ具合、煮具合、薬味のネギのシャキシャキ具合だ。
 出汁はちょっとどんぶり程度でも十分だ。

 熱々に山椒や七味を振って、空腹に掻き込むように食べるのがいい。
 味噌汁や香の物はいらない。

 この記事を読んで、諸兄もカツ丼が食べたくなっただろうか。
 

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始まりと終わり

2024年02月04日 10時16分55秒 | 徒然(つれづれ)
 何事にも始まりがあれば終わりがある。

 学生生活にも、サラリーマン生活にもそれはあった。
 人によっては、結婚生活や恋愛期間、単身赴任や駐在期間、その他もろもろの事にも言えることだ。

 始まりと終わりの間、所謂、事の最中には、終わりは見えないというか、終わりのことは考えないようにしている。
 もちろん、終わりがあることはわかっているが、その最中には、いい事であれば、いつまでも続いてほしい、悪い事であれば、早く終わってほしいと思うものだ。

 終わりを迎えたあとに、ああ、終わったんだ、という感慨が去来し、そこで始まりと終わりを冷静に見ることができるのだ。

 唯一、始まりと終わりを実感、特定できないのが、生まれた時と死ぬ時だ。
 実感できるのは、その最中のいろんな事の始まりと終わりのことだ。

 それが人生だ。
 人生にはいろんな始まりや終わりがあるが、人生そのものには、始まりも終わりもないということだ。

 何かが終わっても、人生は続く。
 そして、人間はいつも次の終わりに向かって生きてゆくのだ。


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