虹色仮面 通信

神出鬼没なオッサンが毎日感じたことを取り留めなく書き連ねます

追悼

2015-11-24 10:04:29 | スポーツ
日本相撲協会の理事長であり、元横綱の北の湖親方が20日夕方、亡くなりました。

子どもの頃から大相撲好きだった私は、中でも圧倒的な強さを誇った北の湖のファンになりました。
引退後も、何かと気になっていました。
なので、このニュースは大きな衝撃でした。

ここ数年、病との戦いが続いていたので、少し気がかりでした。
やはり状況は良くなかったようです。

22日は終日OFFだったので、朝10時に自宅を出発。
壮瞥町にある「北の湖記念館」へ向かいます。
正午前に記念館に到着。

まずは献花をしました。
そして、手を合わせて…。

ついでに、17年ぶりに記念館を見学。
北の湖が残した数々の功績を噛みしめるように。

この日は、彼が亡くなってから3日目で、連休の中日だったこともあり、続々とお客さんが来ていました。
献花台の前も人の列ができていました。

北の湖といえば…
先輩横綱・輪島の存在は外せません。
2人で輪湖時代を築き、大相撲史の1ページを飾っています。

昭和50年代前半、各場所の千秋楽・結びの一番(輪湖対決)は、今振り返っても大相撲の醍醐味を味わえる濃密な取り組みでした。
今年の初頭に某週刊誌での2人の対談を読み、昔を懐かしみながら、当時を振り返る2人を見て、こちらも妙に懐かしくなりました。

あれから10か月。
まさか、このようなことになるとは…。

また当時(昭和50年代初頭)は大関・貴ノ花が絶対の人気を誇り、北の湖は完全なヒール(悪役)でした。
大相撲でヒールもないのですが、紛れもなくヒールの立場でしたし、ヒール然とした圧倒的な強さを誇っていました。

横綱在位10年4か月は、長い大相撲の歴史で唯一の記録。
北の湖親方も、この記録は自慢だったようです。

引退後、協会の役職を歴任し、当たり前のように理事長に就任。
途中、退任することもありましたが、再登板することに。

大相撲が苦境に立った時に、2度も理事長を務め、ここ最近の活況を導いた功績は後世に語り継がれるでしょう。
また、日本相撲協会を公益財団法人にできたのも、北の湖理事長の大きな功績といえます。

北の湖理事長が常々おっしゃっていた「土俵の充実」
志半ばにして、北の湖理事長はこの世を去りましたが、残された者たちは彼の遺志を継いでいくことでしょう。

来場所(来年)からの大相撲を、あの世から温かく見守り、時には叱咤してもらいたいものです。

今はとにかく「ゆっくり休んでください」「お疲れ様でした」という言葉しかありません。