FaceBookでブックカバーチャレンジというのがどこからか始まり、私のところへも、日本工芸会でご指導いただいている須田賢治先生のご指名でまわって来ました。
いつも私はブログにした記事をFaceBookにもリンクさせると言う形でやってきたが、今回は逆にFaceBookに載せた記事をブログでも紹介することにしました。しばらくお付き合い下さい。
自己紹介も兼ねて1日目に紹介する本は、村松貞次郎著「大工道具の歴史」です。
私は大学は工学部の電子工学科を卒業、就職は京都府立の養護学校。そんな私が12年前から、木工を仕事とし日本工芸会にも所属させてもらっています。その変遷?のきっかけとなったのがこの本です。
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実は小さい頃から工作が何より好きで、特に中学校の技術家庭科で習った木工にとりつかれ、学校で「本立て」を作れば、早速それを応用して家で「本棚」を作る、てな調子でのめり込んでいきました。
高校時代は電気にも大変興味を持ち(昔父親がラジオ屋をしていたこともあった)、田舎で伝統工芸展など知らなかった私は、時代も反映し大学は電子工学へ。そして高校の電気の教師を目指したものの、工業高校に空きがなく、養護学校(知的障害)に就職した私に与えられた担当は、なんと高等部での木工の授業だったのです。
鉋や鑿の研ぎもある程度できていたので、授業では生徒に実際に鉋や鑿を使わせて板を削ったり、ほぞ穴をあけたりして数人で共同で学校で使うベンチなどを作っていました。
ある時、もっと道具の素晴らしさを教えるために道具の歴史を学ぼうと探して見つけたのがこの「大工道具の歴史」。
大好きな法隆寺や奈良の寺が作られた時代には台鉋や、製材用の鋸もなかった、ということを知り、先人のもの作り力の偉大さにただただ感嘆するばかり。そして「生徒に教える・・」はどこへやら、自分が大工道具の世界にのめり込んでいきました。
私の家は、木工関係の仕事をしていた訳ではありませんが、鉋や鋸、鑿などの道具があり、勝手に持ち出して使っては親父に叱られたものでした。でも今の時代、家庭に鋸がある家も少なくなり、まして鉋がある家など限られた家になっていると思います。大工さんでさえ、こうした手道具を使うことがすっかり少なくなってしまったというのですから。
日本の大工道具は単純な故に大きな可能性が秘められ、「使う人の技量により道具自体が進化していく」ということができると思います。
この本にはそんな例を示す逸話もいろいろ書かれています。残念ながら今は古書でしか手に入りませんが、読みながら古寺を尋ねてみると建物の見方がまた変わってくるように思います。