Chun日記~両足脛骨欠損症の娘をもった父親の育児&子育て奮闘日記

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小学校での義肢装具使用者の体育への参加に感じる問題点

2016-04-27 00:00:11 | 義肢装具や関連のお話

小学校での義肢装具使用者の体育への参加について

話題として、質問されたので考えてみた。
小学校での義肢装具使用者が体育へ参加できているかどうかとその理由について。

なんというか、難しい。
例えば我が家は今、普通に体育に参加して、本人の意思で無理なことはやめたり、危ないことは担任の先生が役割を調整したり。ときにはクラスで話したりしつつ、補助の先生もアドバイスしていただきながら参加させて頂いている。本人もそのことを理解し、周りも理解してくれている。

そうなのだ。
本人のやる気。周りの子供達の気持ち。先生方の理解とノウハウ。その三つが揃うとスムーズに参加できるような気がするのだ。

では、どうすればそれらが揃うのか。それを説明するのが難しい。
千差万別だし地域や家庭状況、自治体体制によっても違うだろうなと思いつつ、私なりに思うところを書いてみよう。

まずは、本人の気持ち。挑戦する気持ち。
これが実は一番難しい。
義肢装具使用者が周りと競いながら、体育の授業で次々習う様々な運動や遊びに、積極的に関わり取り組むために。
まずは「やればできる」という自己肯定感が大切になる。それも普通よりもたくさん。
なぜかって、周りと同じレベルにできるようになるまでの初期ハードルが高いから。

自己肯定感。運動におけるそれは、幼少期の遊びをとおして、皆が走り回るときに走り、いろんな遊具を使うときに使い、飛び跳ね、泳ぎ。ときには危ないこともしながら、自分の限界を知り、周りと比較して自分がどれくらいできるのかを見極めながら。
その子なりに自分の得意不得意を見極めながら、自己肯定感を養っていく場合が多いような気がする。

そのとき、義肢装具使用者が困ること。それは、そうした要求が「求めすぎ」とされがちなこと。
「そんなに無理しなくても」と言われるし、役場ではそのための義肢装具は支給されない。勧めてくれる人もあまりいないし、自費対応するには高い。

そもそも運動には、普通に支給される義肢装具は適していない。というか、歩くことが主目的だからそれ以上の機能を求めていない。
そんな義肢装具を使って、周りの子供達と遊んだりする。
とうぜんできないことが多い。諦めたり見学して蚊帳の外になる。
そうした経験は、それを当たり前にしていく。

もちろんそれだけではなくて。家族構成なんかで兄弟がたくさんいたり、地域で遊ぶ中で自然とできていく場合もあるかな。
今の核家族化も関係しているかな。
先生方に任せるのも大切。トラブルはいい経験くらいに胸を張り、学校に任せる。
そうでないと学校はやりにくいもの。

ともかくそうして幼少期に、諦めることを当たり前にしてしまうと、後がきつい。
なにせ、義肢装具使用者は、運動においては何をするにも人より大変なことが多い、エネルギー消費は多いし、工夫も必要。大変だわ人より頑張らなきゃ追いつけない。

そんな状況が小学校での体育ではおこる。
一年に6つから8つ。様々な運動が次々と行われる。何かを始めてから終わるまでが早い。
時期により、水泳ばかりになったり、運動会の練習になったり、学芸会や校外学習の準備にも変わるから、本当に時間数は少ない。それが現実なのだ。

やはり、私は考える。
幼児期から、普通の子が普通にすることができることを、当たり前にできるような仕組みが必要だ。
初めての子供の場合には、普通のこの当たり前を親が知らない。
そうした親が戸惑わず、子供達が結果的に利用できないような制度ではいけない。

やはり制度の根本的見直しだろうか。
いや、そもそも小児は地方裁量が大きい。
つまりは地方担当者が考え方の拠り所にできる自信があればいい。

役所発信でなくても、小児整形外科医や理学療法士、作業療法士や義肢装具士、看護師や義肢装具メーカーなどがタッグを組んだらいい。
そしてそこで試行的に指針を作り毎年改訂していく。

そうしていくうちに、いつかそれは役場が信頼しうる指針になりうるだろう。
そうした動き。
どなたか呼びかけていただける方、いないかなぁ。

東大病院や兵庫県立リハ。
各県の心身障害児療育センターや総合療育センター。
義肢装具学会や小児整形外科学会、リハビリテーション学会でもいい。


そうした必要性。
もう少し認知されるといいのにな。

コメント
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