タイトルに困る内容

2007年09月14日 | Weblog


 いつもおいしいものを食べていると、それがあたりまえとなります。新鮮さが失われ、たいして感動しなくなります。いつも音楽が流れていると、慢性になり、これも感動が薄れます。

 ずっと前の話になりますが、ヨーロッパに行ったときに、店には音楽がかかっていなかったような気がします。音楽が聞こえる店もあったのかも知れませんが、気づきませんでした。聞こえてくるのは、ドアの開閉音、人の声、靴の音、商品などを動かす音などで、自然に発生する音だけだったような気がしました。どうして、日本の店には音楽が欲しいのか。音楽は好みがはっきりする性質を帯びていますから、いまかかっている音楽が嫌いな人もいるはずです。そういう人にとっては迷惑です。

 話を戻します。昨日は春と秋が短いことを話題にちょっと出しましたが、たぶん短いからこそ惜しまれるのかなと、今日考えました。いつも春で、いつも秋ならたぶん、あまり感動しないかもしれませんね。短くて、いかにもそれらしい春や秋の日が意外に少ないからこそ、それを惜しんで歌や句あるいは詩に詠まれるのではないかなと思いますが、どうでしょうか。

 感動がなくなり、無感動の人生は殺風景です。炎天下で働いて大汗を流した日には特に  がおいしいのは、つらいことがあったあとの喜びですから、感動は大きいです。戦後、読みたくても紙がなくて本が買えなかった時代があって、たまたまひどい紙に印刷された本でも発行されたときには、書店に行列ができたとかいう話をきいたことがありました。何でもむずかしい本だったらしいですよ。



 さてさて、、、

     

 雨にたたかれながら草を刈ったあとです。まだ明け切っていない早朝に撮りましたので、暗く写りました。

 この草地はわが家の敷地の北側にあります。西の方を向いて撮りました。左の高い木は今年の冬に伐採する予定です。電柱にそって広い道路があるので、そちらに倒れられたら困りますので、全部処分してしまいます。もらい手が決まっていて、その人が伐採することになっています。私は楽チンできます。


     

 ブルーベリーは、もう最後です。ずいぶん取れました。これの欠点は取るのに時間がかかると言うことです。長所は、栽培にぜんぜん手間がかからないことと、やたら実をつけることと、おいしいことです。

 四つでもイチジク。一枚でも煎餅、一つでも饅頭と言うが如し。この写真を撮ったあとで、この3倍くらい取れました。ジャムにでもしてもらいます。ベリーはジャムか、そのまま加工せずにヨーグルトに入れて食べます。プチプチしていて、とてもおいしい。ベリー・グー。

  プチ = petit(仏語)  = 小さい

    

 オクラは、まだまだ花が咲いています。花の下に取り損ねたオクラが大きくなっています。これは切り取って捨ててしまいました。食べられないオクラ。何にもならないオクラ。お蔵入りにさえなれないオクラ。切り取るのもおっくらー。ユーコリンは小倉。百人一首も小倉。



      



      


 今度は読みやすいということです。安心しました。Heyモーさん、みなさん、ありがとうございました。

 ディスプレイによっても文字の大きさが変わるようですね。最近買ったノートパソコンは、ワイド画面なので、このディスプレイとは表示がちがいますね。一行に表示する文字数が違うようです。

 いろいろと、工夫しながらやっていくのも、これまた楽しいことです。私は苦夫ではないですけど。 ← これまた余計なことを、、、、。

 いつもそうなのですが、今日は特に内容もバラバラなので、タイトルに困りました。