今日は腫れそうです。間違い。晴れそうです。(まだ、頭の中は半分くらい眠っていますからね。)明るくなった空を見ますと、そういう気配がします。
毎日、夜が明け日が沈みます。当たり前のことですが、その毎日はそれぞれ違いますね。気分も違うし体の調子も違います。知り合いにも転勤やら、病気になったり快復したり、さまざまなことがあり少しずつ毎日が違います。世の中生きとし生けるもの、誰も一日年を取ることは確かです。
ナタネの花があちこちに咲いています。ひとりでに種がこぼれて出たものです。来る人くるひと皆「きれいですね。」と言います。
そこまでは良いのですが、次ぎに「何にするんですか。」「種をとるのですか。」「取ってどうするのですか。」と聞かれるので、もう困ってしまってどうしよう。めんどうくさい。「何にもしないんです。」と看板を立てて黙ってそれを指さしましょうか。あるいは録音した物を聞いてもらうとか。
菜の花が沢山咲いていても、別に意味はないのです。最初は、風食を防ぐ意味で作っていました。この頃は、それも面倒になりました。
小麦はこれくらいになっています。これもいろいろと聞かれます。ここにも看板を立てるようです。掲示板にして、自由に書き込みをしてもらいやしょうか。これも風食防止のためでした。
でも、こうやって種を蒔くと育ってくれるんですよね。ありがたいことです。ほかの、キャベツだってニラだって、ラッキョウだってそれなりに育ってくれています。でないと困りますけど。
毎日まいにち、、、、と言い始めるとすぐに私の頭では「おげたいやきくん」の歌が始まってしまうのですが、今日はやめます。それで、毎日まいにちそうやって暮らしているうちに六十年以上も経ってしまいました。
私が生まれたのは太平洋戦争の最中だったとか。飢えにも物不足にもなんとか耐えて親が育ててくれました。たいへんな肺炎にかかったこともあるとか。私も運がよかった。
これからも、できるだけ運に見放されないように生きて行ければと思います。ときどきは、そういうことも考えなければね。手術後の身なのでちょっと弱気。
一日一茶
春風や牛にひかれて善光寺
ニャンパルさんの4月13日にでてくる句にヒントをもらい駄句をつくってみました。
人肌のぬくもり欲しい花の雨
人肌のぬくもり欲しい菜種梅雨