全ての仕事を終えて熱めの風呂に浸かり、疲れを取ってこうしてパソコンの前に座っています。留守中足跡残してくれた方ありがとう。カフエの前に、こうして以前のように座ってはいるけれど、この夜更けじゃぁね。
夜が明けて月末の納品に赴くことになるが、今までとは違い感無量となるか、それとも綺麗さっぱりドライに打ち上げるか、・・・
あちらの対応も見所。
月末の追い込みで仕事漬けになっています。
日曜の今日も漬かっています。
足跡お返しも出来ませんが、後日まとめて挨拶に行きますからご容赦ください。
ガチャガチャした世の中にも、夜が明ければ煌々と大地を照らす太陽がある。世界の隅々まで陽を降り注いで、すべて生きるものの上に恵みを与えてくれる。
かなり遅くまで仕事をしている私は太陽にあたる機会が少なかったけれど、最近は昼前にベランダに出て、愛犬の戯れの相手をしながら甲羅干しをする機会が増えた。
冬の日差しも2,30分もすれば、全身がポッカポッカ暖まってくる。燃料体の充電完了である。物思いに耽るときも太陽を浴びながらすると、マイナス思考に落ち込まないだろう。
今思うことは、「鎖は自分の手で断ち切る」こと。自由は誰かがくれるものではない。自由が欲しい者の戒めであろう。
鬼が笑っている節分会
なんとも優しい豆まきであろうか、娘と妻が外に向かって「おには~そと!」、鬼がニコッと入ってきそうな声で豆を蒔いた。
私は鬼の役を免れて、ほっとした。
ここ一番大事な時は、ぐっと胸にファスナーをかけて歯を食い縛っていよう。仕事上の立場の違いによって、・・・常に利害関係で成り立っているのだけど・・・先方と此方とで正反対の見方をしたり、自己弁護に走ったりするものだ。
親会社と下請け(会社であれ個人であれ)の関係では、たいてい一方通行で強者から弱者へ、上から下へと仕事が流れてくる。社員でもなければ部下でもない、選択の余地はないから、流しそうめんの一番下で待ち受けているようなもの。下請けの悲しさと言うべきか。