「本当の自分を知る」この難問を己の心に問いかけて、自分を見つめるキッカケとなるのは人それぞれ、人生の体験とともに苦難の中でもがきながら、生きる道を探ってきたと言えば格好良すぎるか。堂々巡りで正解なんて見当たらないけど、大抵は自分にとっての最大の利を選択して、将来の希望を描いてきたのではなかったか。ここまでは我利我利の欲望の塊が人生の代名詞なのであった。
トントン拍子の順風は子供時代まで。世に出れば荒波にもまれて、嫌が上にも他者との対比の中に敵と味方の処方箋を得るようになる。しかし所詮生きる道は単純じゃない。紆余曲折の果てに煩い悩み、壁にぶち当たって孤独を知るようになるのは、至極当然な見えざる手の恩寵であろうか。ここで自分を映し出す鏡に出会うのだ。今まで見えなかった醜い内面が日毎に映し出されて改悛となり、悔悟へと導かれるのも大いなる至上の恩寵の手によるものと、向後の自分を戒めておこう。
「生兵法は怪我のもと」浅学の身が御託を並べるのも害あって益なし、と知るのも一歩前進、向上への登坂の途にあると思えば益となろう。「人は何のために存在しているのか」「何処に向かって歩いているのか」、「その果ては?」永遠の課題が宇宙へ飛び出すバネとなり、人類の形跡を地上の星として留めて座標とする。大いなる人類の未来に旅立つ試練に、私達は立ち会っているのだと今の世を思う。