金魚鉢うるむ忌日の遠き日や
25日はカフエ友、まっきーさんの母親の忌日であり、日記に母親への思いが綴られていた。彼の『金魚忌』である
10日は私の父親の忌日でもあったが、しみじみと忌日を偲び・・・何かするとかの特別な感情はない。不確定な日に思い出すことはあっても、完全に送った人である。
父の命日に近づいていくことで、私の年輪の積み重ねの中に埋没同化しているとも言える。
25日はカフエ友、まっきーさんの母親の忌日であり、日記に母親への思いが綴られていた。彼の『金魚忌』である
10日は私の父親の忌日でもあったが、しみじみと忌日を偲び・・・何かするとかの特別な感情はない。不確定な日に思い出すことはあっても、完全に送った人である。
父の命日に近づいていくことで、私の年輪の積み重ねの中に埋没同化しているとも言える。