conparu blog

ささやかな身の回りの日常を書き綴ります。
[ブックマーク『conparuの白い航跡』もよろしく]

プーチン・カエサル

2023-01-31 16:07:29 | 随想

ウクライナ情勢もロシアとEUが戦局の前面に向き合う形となりました。遅かれ早かれ避けられない、地政上の歴史的な思想見解の違いとなって、プーチンのブッチ切れ侵攻が始まり、今や対抗勢力の拡大に至っています。プーチンの戦争で始まったのだからプーチンが矛を収めれば済むことなのに、それができない。そこがプーチンの小さいところだ。戦争を始めるに当たっては、ウクライナのナチ右翼が親ロシア住民を攻撃しているとして、懲らしめるための派兵であり、大統領権限で非常事態の特別軍事作戦を発令した。この時点でプーチンは国民に対して嘘を発令したのであり、国連の場でも嘘を通そうとして非難を浴びた。こんな調子だから最後までペテンを通すつもりだろう。後はアドルフ・ヒトラーの後追い自決が待っているだけかも。ただ、窮鼠猫を噛むってこともあるから、持てる近代兵器を使い切るってこともある。弱いモノほど暴君となる可能性もあるので、ドイツや米国も警戒した面があるだろう。しかしプーチン・カエサルは思案も浅くルビコン川を越えてしまった。歴史をなぞれば、かつて部下であったポンペイウスの追撃に遭っても生き延びたカエサルは、あまりにも強大な権力を持ったが故に、最後は暗殺されてしまったとある。プーチンの終幕は果たしてどうなるのか。(一部訂正)

コメント

かくれんぼ

2023-01-23 23:26:57 | 随想

コロナ禍も地域の隅々にまで浸透して、「withコロナ」は身近な存在者としてマスク越しに息を伺っている。息と言えば呼吸のことだが、即ち生きている証として命を繫いでいるわけだが、明日をも知らない命ゆえ無慈悲にも断末魔の幕は下りる。かくて担保されていた肉体は無機物の墓標に永滅して、次代の命にバトンタッチをして終わるのだ。
人生とは「箱根駅伝」、山あり谷あり真逆あり、バトンを渡してその場に倒れる。
知人朋友の中でバタバタとゴールインした人たちがいるが、日本人の平均寿命は男女ともに80歳を超えているのに、その差は何処にあるのか・・・私見で言えばコロナも関わっているのでは?と思う。ワクチン接種によって免疫力が落ちるのではないかと推察されるのだ。自分の体験では4回目のワクチン接種を済ませた後に、呼吸困難な状態と帯状疱疹を患った脇腹の痙攣によって、世間の噂も真実味を与えてくれている。

コメント

つれづれに無題

2023-01-10 21:55:18 | 随想

(2022.10月27日掲載の再編です)
自己の存在と他者の存在を互いに認めて尊重しあう。そこには各人の個性も主義主張の隔たりも容認する寛容さが付随している(はずだ)。長い歴史を経て人類が発展を遂げてきた道程は、一歩でも崇高な領域に近づくことではなかったか。いやいや精神性の問題以上に物の豊かさ、利便性を求めてきたのではないかと、自問自答して納得する自分がいる。経済の発展が貧富の格差を広げたグローバルの波は、富の偏在という形で破綻したのだった。状況は心の劣化も引きずりこんで、自国優先ナショナリズムの指導者を輩出した。世界は混乱に突入した。

1世紀も2世紀も後ずさりした人間の知性が、プーチンを代表する頭脳だとして、ウクライナ侵攻の武力行使の身勝手さは、ウクライナを廃墟にしてもロシアの手元に置いておきたい領土願望であり、それを諫める有効な手だてはEUにもUSAにも無いのが実情だ。核の脅しに至っては、「汚い手を使って・・・」とプーチン自らの汚い手を認めている言い回しが、ふてぶてしく聞こえてくる。EUの東方拡大に怯えるロシアが、被害妄想に取り憑かれて蛮行に及んだのは、歴史的記憶から来るものだろう。

犬の遠吠えのごとく、我が思いも力なく何ともやるせないのだが、こんな中にも多様性について認識が深まっているのを快く思っている。とかく「男らしさ」「女らしさ」で括られる旧態のバイアス評価は、今はもう色あせて時代錯の妄言と言ってもいい。自己の内に両性を見つめることで、世界各地の多様性を認め合える必然が来るといい。

コメント

年頭所感もどき

2023-01-07 11:54:50 | 随想

2023年が明けて、寒気の染み通るような寂漠が脳内を一過する。時の流れは刻々と同じリズムで過ぎ去るけれど、人間が生活していく中では時節の折り目、折節の句読点が必要だ。それでこそ萎れた脳内に活を入れることができる。コロナ前だったら古刹の寺に詣でて元旦の祈願もしたけれど、今はすっかり仏寺から遠ざかって、ささやかな居住空間に身を置いている。昨日は家族の要望で近くの神社にお参りしてきた。お付き合いだから何の思い入れもない。かと言って変哲のない、だらだら生活をしているわけじゃないよ、日常生活するなかで絶えず工夫を凝らすようにしている。食卓に置くアクリル製の箸箱を作ったあとの補修とか、間近ではリラクセーション効果を意図して、トイレの壁面に飾るL版写真複数枚と、はがき大年間カレンダーをコラボしたアクリル板の飾り物を作り直しました。これは毎年していること。年を重ねて来ると記憶減退は避けられないけれど、脳内活性化のために何かをしていることが大事だと常々思う。

コメント