彼岸を過ぎても、体を動かすと暑いなぁと感じていたら、漸く秋雨にめぐり会えて大地の冷たさを感じるようになりました。
そして、秋雨前線が本州の太平洋沿岸に停滞し、台湾近海に達した台風15号を引き込む感じで、沖縄、九州方面へと舵を切らせている。
台湾コースの台風は、そのまま大陸上陸かと思わせながら、90度近い右旋回を見せて日本列島を襲って来るのは、大陸の高気圧に押し戻されて曲がる場合や、気圧の谷の前線に誘引されて突入してくることがあるようだ。秋分の頃になると大陸の高気圧は太平洋に強く張り出し、日本列島の沖合いにある気圧の谷に誘導されて野分の季節を迎えるようになる。
かくて自然の猛威は、日本列島を恐怖に陥れる存在であるとともに、間接的に豊穣な土壌をも運んでくれる存在となっている。数万年前の古代の多摩川は現在の流れとは違って、埼玉県境の狭山台地の岸丘を洗って流れていたらしい。長い年月を経て、侵食に侵食を重ねて武蔵野台地を形成し、東京湾に至る広い扇状地の一翼を担ってきたとも言えます。
地下数メートルを掘ると、今でも大きめの玉石が続々出てくるのはその証左でしょう。富士山の火山灰は、その上に堆積したもの、と多摩の歴史本は語っています。古代多摩川が、「暴れ次郎」くらいに暴れまくっていた確証を、今から20年ほど前に、私の庭で見つけました。
当時、本下水工事の施工に伴い、雑排水の貯水槽を埋め戻しして貰ったのですが、底一面に敷き詰められた丸石を発見したのです。紛れもなく数万年前の黒い、つやつやした石でした。こう云う感動って、遺跡発掘に似ていますよね。この下に数万年の遺物が眠っている、なんてロマンじゃぁないですか。
モノクロの遺影に祈る曼珠沙華
普段はあまり目に留めない写真だけど、
今日は彼岸中日、二人並んだ父母の遺影に手を合わせました。
供えてあるのは菊の花。
一緒に供えたキノコおこわ飯は既に頂きました。
今日は自家製餡で「おはぎ」を供えます。出来合いの餡では気が進みません。
心に咲いた曼珠沙華は真っ赤っかなれど・・・。
500人以上も乗船できる大型の水上バスは、2階層の甲板に分かれています。
船内の長椅子に座るもよし、両舷のオープンデッキに備えられた、二人掛けの椅子に座るもよしで、どちらに居ても景色はよく見えるのですが、舷側のオープンデッキのほうが見晴らしがいいし、海面に近いので波の表情がよく分かります。
一昔前は東京湾そのものが異臭を放っていました。沿岸の汚水の匂いが浜風とともに鼻腔を汚して嫌なものでした。今は、すっかり昔日の面影が消えて、沿岸に連立する近代的なビル群が、都市空間の美を感じさせていました。景観が美しいので暫らく見とれていました。東京湾に未来都市が出現していました。水質も濁りなく、異臭も発しない衛生都市が出現していたのは驚きです。これからは、この未来都市に相応しい住人を期待します。
だんだん雨脚が強くなってきました。今夜半から明朝にかけて、とびっきりの豪雨が襲って来るらしい。洪水が出て流される心配もない所だから、安眠は出来そう。昨日はでかい写真を3枚も載せちゃいました。映像を載せるときは、最小限の文章がいいみたい。今日は昨日の続きです。遠慮して2枚だけ載せます。
レィンボーブリッヂ橋下
大島航路?水中翼船 速いなぁ
武蔵野や多摩地区の街々は、駅前の高層ビルを除けば、おおむね低階層の住宅が密集して、どこまでも広々とした空が望めるのだけれど、昨日は都心方面に行って、まったく違った風景に出会いました。
水族館と水上バス利用のセット券がずいぶんと前に手に入ったまま、利用する機会を待っていたのですが、台風13号の合間を縫って、行ってきました。
東京内湾の赤いブイ
やや大型の東京湾クルーズ船「シンフォニー」と出会いました。
レインボーブリッヂ海風が心地よい、「ゆりかもめ」はこの橋を渡っています。
しながわ水族館水上バス乗り場→大井海浜公園→船の科学館→お台場海浜公園→レインボーブリッヂ下を通過→日の出桟橋下船・・・このようなコースでした。
水上バス航行き交う岸はビルの壁
次回も写真を載せて見ます。
雲は薄く上空にかかり、秋の涼気がそこかしこに満ちて、晩夏の名残もない。遠くを旅してきたような季節の移ろいに幻惑して、ただ一人窓辺に寄りかかり空を眺めている。世の片隅にたたずむ我を意識しながら、最近の世の中の悪い事象が頻発している様を、時代を暗い方向に押しやるのではないかと心配して見ています。私ならずとも凡夫が一様に感じていることでしょう。年金問題では年金統合のデータ喪失が、年金制度の不信を招く不祥事であり、お役所仕事のいい加減さを露呈しました。食品の安全に関わる一連の不祥事も、官庁の気の緩みがあるからだと思う。お役所仕事の、こんなにまでみっともない姿を晒して、恥ずかしいと思わないか。このような事件性の出来事は、深く関わってきた政権党、与党が「知らない」では済まされません。時代の流れが奔流となって、手がつけられない状況になる前に、手を打って欲しい。一つの方向性が時代の濁流を引き寄せてしまっては困る。
西空を見上げると、夕暮れの灰がかった黄昏色が、まさに漆黒の闇に溶けこんで大地を飲み込もうとしている。
特別快速電車を利用すれば、1時間余りの距離にある港区六本木の、「泉屋博古館分館」へ初めて足を運んだ。
ここは住友コレクションの建物で、『明治の七宝』と題して15日まで伝統作品の七宝展示をしている。
恥ずかしいけど、博古館に着くまでは「いずみや~」と読んでいた、正確にはSENOKU HAKUKOKANだったのですね。
もう行くこともないだろうから読みはいいとして、作品は超絶級の名品ばかり。
並河靖之や涛川惣助と言う、当時の帝室技芸員の精緻な技巧と彩色は、万博のパリ市民を圧倒したに違いない。
他の名品の幾つかは海外の収集家や博物館にも収まっているようだ。
大まかに言って、花鳥風月の図案紋様に銀線を植線して、細かいところまで釉薬を施す技巧が並の腕ではない。(七宝あらまし考)
JR四ッ谷駅で南北線に乗り換え、六本木一丁目で下車すると、辺りは緑の多いマンションと大使館が集約しているところ。
ホテル大倉も歩いて10分ほどのところにある。博古館を出てからホテル大倉旧舘のロビーに入ってみると、ロビー全体が薄暗く人気も少なかった。
ゆったりと、深々とソファーに腰を下ろして二、三分で外に出た。玄関口のボーイが、「ヘイ!サンキュー」と云ってタクシーのドアに手を伸べたのには一瞬閉口。オレはアジア系外人か?
静かで緑の木陰にある茶房を見つけた。
珈琲と葛を織り込んだケーキを食べて、六本木界隈のよき思い出とした。
帰りを急ぐ車の赤いテールランプが
湿ったアスファルトに滲ませながら
一台、また一台と過ぎていく。
地域によっては豪雨となる気象も、
ここでは幸いにも程ほどの雨と言える。
午後からの間断な降りも収まった夜、
妻と連れ立って歩道を歩いた。
西方の夜空は暗く、重い戸張の中にあったけれど、
ひんやりとそよ吹く秋風が頬をよぎる。
今日一日のことをそれぞれに思いながら、言葉に合わせていると、
ピカ~っ!
夜空を走る閃光・・・
遠くより近づく雷音の脅迫。
妻の声音がかわる。
急いで帰ろう!
福田サミットが洞爺湖で開かれ、北京オリンピック開会式に各国首脳が参集したばかりで、よもや・・・福田さんの辞任劇を見るとは思わなかった。
福田さんは国会が始まる前の、政治空白を作らないこの時期を選んで、辞意を表明したといっていたが、あまりにも唐突なので、真意は隠されているのでは?と勘繰る人も多いのではないですか。
民主党がどうのこうの、と言っていたのもピントがいまひとつで、政権党から見たら頑張りどころのはずだ。
欲の無いところが福田さんの持ち味だとして、今の政界は与党の中でも足の引っ張り合い、党利派略の混戦模様だから引っ張りきれなかったのかもしれない。