conparu blog

ささやかな身の回りの日常を書き綴ります。
[ブックマーク『conparuの白い航跡』もよろしく]

正月の酔いごと

2020-01-25 16:51:26 | 随想
『人は行くようにしか行かないものだ』―松尾芭蕉の述懐の言葉だと云われる。
人の一生というのは思うようにならないものだ。人の世の儚さ、どんなに頑張ったところで所詮相応の自分に収まってしまう。芭蕉の晩年は自然と人間界に潜む哀切といった、心に投影する自然の『あるべき姿』(真理)を表現して、時代を超えて私たちに訴えてくるものがある。
 
   『一つ家に遊女もねたり萩と月』

 奥の細道を俳諧して北陸道の酒田を過ぎ、越後まで来たところで病を得た芭蕉は、親不知の隣りにある市振と云う村に泊まった。そこには伊勢参りの旅に出た二人の遊女と同宿したが、襖を隔てた隣室であるから一行の話が筒抜けに聞こえてくる。ここまで送ってきた年老いた男が明日は越後新潟へ帰ると云うに及んで、遊女から故郷への文を托して、今までの浅ましくも定めなき契りの日々の因業はどうにもならない、と身のうちを語れば、これを聞いた芭蕉は、遊女のこの先の行方知れない旅を思いやり悲しくもあるが、どうか少しでも良い縁を結んで欲しいと祈らずにはいられなかった。宿を出がけに「われわれはそれぞれの処に留まっているが、人はそれぞれ行くに任せるしかない。神明の加護は必ずあるのだから」と言い捨てて出たが、哀しさはしばらく止まなかった。
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初雪寸想

2020-01-19 23:38:38 | 随想
 年寄りは可愛さを歳に刻まなくては・・・つねづね思っているけれど、世の水は苦く安穏を受容させてくれない。世が緩やかに流れて花鳥風月を愛で、神仙に篭もるなど江戸時代に戻らなければ境地は探り得ない現実がある。昨日は東京にも初雪が降って、視界は白銀のカーテンに包まれたかの淡い期待を抱かせたが、地上に落ち積もることもなくアスファルトの黒い深みに吸い込まれていった。
そして今朝の晴れやかな陽光に目覚めれば、障子に踊る小鳥の影・・・ささやかな平穏の一時を得ることで現世の塵芥から逃れる術としよう。
歴史は時の積み重ねの果てに表われるモノ。今の今は足下を濡らす水の色で無色透明であるけれど、高見より観れば判然とした一色を呈して道理と言える。

 
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カタストロフィーの出現

2020-01-09 13:39:23 | 随想
 中東の油田地帯が焦げ臭くなってきた。21世紀においてクリミア半島が強奪されて以来の、大国が拘わる大きな事変である。トランプが投げた賽の目は、イスラーム全土を巻き込む危険性を孕んでいる。この地球上で潜在的に危険視されていたのは、バルカン半島とパレスチナ・イスラエルの領土問題であったと思うが、グローバル化と民主主義の崩壊に瀕している今は、何処にでも波乱が起こり得る時代の転換期に差しかかっているようだ。尤も沸騰点に近い摩擦熱が起こるのはこの先であろうけれど、海底の大陸プレートのひずみのように、気がついたときには反発力が働いて天地動転の天然自然現象が表出する。カタストロフィーの出現である。過去の歴史でも第一次大戦が勃発した欧州戦線のように、暗殺事件を起点として多国間の対立を生んだ状況が世界を大きく変えた。時代が圧縮されて爆発力のマグマが昂じると異次元への反転作用で人類もふるいに掛けられる・・・正夢にならなければよいが。
 次元はぐっと下がって我が身辺に置き換えると、正月の寺院で平穏無事を祈願しても平坦な道を歩めるはずがない。何時かは壁に突き当たる。
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