コロナ禍はライフスタイルの全てに変容を突きつけている。教育においては学びの場や学習の仕方に工夫を強いられているし、職場でも一部においてはステイワークや時差出勤、通勤手段の選別といった密を避ける対策が施されている。家庭においては不要不急な外出を控えて、こまめに消毒をする。そして移動時にはマスクの使用が欠かせない。
ある程度定着した感があるが、ここに来て急激にコロナ感染者が増えたことは、どう見たってGo toの「あおり」で気が緩んだからに他ならない。車ならここで急ブレーキを掛けて止めるのが最優先の事項だろうが、国も都も状況は目には映っていても、足元は強くブレーキペダルを踏んでいない。問題となっている高齢者運転の最たる見本を示している形になっている。
高齢者と云えば、運転免許更新の際の手続が不親切というか、予約受付の代表電話が繋がらないというハプニングがあったけれど、何度掛けても自動音声で『――後日電話ください』と云って切れてしまう。仕方なく府中自動車試験場に出かけて直接予約を取ろうとしたら、係官から『確実に通じる電話番号』として、警視庁高齢課の電話番号を紹介された。それ以後は予約日に認知テストを通過して、自動車教習所での運転機能試験が待っているところ。規定通りの免許更新日には余裕を持って間に合わせる見通しがついた。教習所でも予約満杯の処が多いので、彼方此方電話して空いているところを探した。
つまるところ、100メートル障害競走を勝ち進むように設定されたようなものである。
高齢者はこのくらいにして、コロナ禍の影響が時代を変えつつあるのは間違いないとして、閉ざされた生活空間の中で、どの様な変革を求められているのか?一つは自己内面への問いかけ――自己との対話――自分を見つめる意識が強まるのではないだろうか。何がおかしくて何が真面なのか?判断がハッキリと認識されることで、政治的にも変革を促していける。国の財政も打ち出の小槌に頼っていては、早晩破局するのが目に見えているわけだから、緊縮財政に向かわざるを得ないのは必然です。経済経済と言うけれど、貧民救済も大事です。もう一つはグローバルな国際関係が地球規模の未来志向に焦点を合わせると言うこと。苦しい状況が方向性を見出すでしょう。
「おごれる者は久しからずー」何度も繰り返されてきた泡の如き世の姿。ここに至って醜悪の末路を曝し、全てが鏡に映し出されるか。それにしても政界は貧弱になったモノだ。日本だけの問題ではない、主要国が揃ってトランプ化しているのは、そう言う時代に遭遇してしまっているからで、歴史の転換点だと思っている。コロナ禍も3次感染拡大期を迎えて、医療現場やコロナ分科会が手を打って欲しいと危機的状況を訴えたことで、菅政権もやっとその気になったようだが、どうも言っていることがちぐはぐではないか。Go toトラベル、Go toイートを号令掛けて始めたのは政府であるのに、止めるかどうかは知事の裁量だと、下駄を預けているのは無責任だ。メンツが先に来ているからであろうが、誠意が感じられない。安倍政権の残滓とも云える「桜を見る会」の接待問題では、違法な出費が明らかになった。当時の安倍首相の答弁には顕かに誤魔化しがある。米国に於けるトランプ支持派の共和党にも何処か通じる、溜息ストレスの臨界点を感じられてならない。
朝日新聞10月30日版にサイエンス作家竹内薫氏の『これからの世界を読み解く「数学体感教室」と題して、2ページ大の数理に基づいた知的ゲームが掲載されていた。チャレンジをそそるような図解に誘われて、幾つかある中の『ガウスの計算方法』に目を留めてみた。
次ぎにチャレンジした形跡を記してみよう。
頭の体操になりました。
かつてその昔(笑)そろばんを使って1~100まで加算したことを思い出し、電子計算機による再計算をしてみた。老いた頭には、これだけでも大変な労力が要るのだが、遠い記憶は間違いなく5050であった。。ガウスの計算方法は、それぞれの組み合わせ50組すべてが101となることを発見したことである。則ち101×50=5050になる。
天才の閃きは「なぜに?」「何処から導いた定理なのか?」凡人の頭を叩いても分からない。でも、上段に記した各10単位の累算毎の差に、一定の規則値を見つけたのは進歩かも。も一つ、私なりの発見である、1から100までの累加算数式を載せてみよう。既に発見した先人がいるかも知れないが、単純な計算式で任意の数及び100加算が出来ることを確かめた。
数式=[規定の数×その数の半分+その数の半分]
例: 100×50+50=5050(1~100)
50×25+25=1275(1~50)
循環
林の中で見かけた切り株の根っこから、茸が密生していた。木株が土に帰るための手助けをしているらしい。僅かに残された栄養分を取り込んで株の分解を早め、自らも次の植生のために土に帰っていく、森林の掃除屋と云われる由縁である。命の循環作用が此所にも見られた。森羅万象、宇宙の法則が足下に展開している。
林の斜面を登り切ると 一面の明るい世界が開けた
解放されたセクションが 光にまぶしい
懐かしい木のにおいと 柔らかい地面の感触と
かつての少年の幻影を呼び込んで 林の気韻が迫ってくる
ノスタルジアではあるけれど、森林に分け入ると、ある種の気韻に押されて自然に同化している自分がいる。古代人と語りあえるような神秘な雰囲気に染まるのが、自然の気というものだろう。
コロナ禍中にあって、先の見えない、予測の利かない閉塞の生活空間ともなれば、幻影にしても自分なりの展望を描写するのは悪くない。誰しもコロナから遠ざかることは出来ないのだから。
時を超えて
それぞれの足跡の上に 落ち葉が積もっていく