高山であれ近隣の丘陵であれ、尾根伝いの路を歩くのは楽しい。360度の展望ができるとなれば尚更で、自然のもたらす開放感は人間の狭量な心を一気に拡げてくれる。癒し効果は抜群だろう。川筋の遊歩道を歩くだけでも、非日常の創造する領域へと引き込まれ、詩歌芸術を発露する境地に入らせてくれる。単純に心が解放されることで気宇が大きくなるだけなのだが、いかにも高次な世界に分け入った心境になるところがミソだ。
コロナの影響で、単純であるべき美意識が遙かに遠く高く掴みきれない処に霞んでしまったのは残念、と言う気もする。何しろ居宅から用が有るとすれば、家庭菜園に出て行くか、近くのモールショッピング等に買い物に行く程度だから、低次に過ぎる生活レベルの中に在って美意識には程遠い。
コロナ禍がどの時点で終息するのか誰にも分からない。この先どうなるかの見通しも利かないから、後ろを振り向いて過去の足跡を観察するしかない。過去は明瞭に判別できるから個人の生活レベルにおいても、政治的な国家の未来設計についても、過去と現在の延長線上で仮定するしかないのだ。それにしても世の中は随分と変わり果てた。理想を追い求めた大戦後の世界像はガラス器が溶けたように変質して、異様な燻りにも似た臭いを醸している。被さるようにしてコロナが変質を加速させているのだが、その意味するところを理解するには、人間の脳力に脆弱性があって真面に向き合いないのが残念。
晩夏の候と云いたいが猛暑の連続であったから、その言葉さえ何処かに置き忘れていた感がある。それでも気圧配置のせいか、日曜日の夕には涼味を感じるようになった。都心にはかなりの雨が降ったとTVニュースの映像が伝えていたけれど、ここ多摩地域にはおこぼれもない。台風8号の余波が日本海に張り出せば、その勢いで当地にも、一時的であっても涼気が訪れる可能性はある。それにしても温暖化の日本には、未だ未だ暑さとコロナ禍が続きそうだ。
暑気の煩わしさを和らげる話題はないものかと、身辺を振り返ってみても、肌の焼けた臭いと夏野菜の萎れた色合いが台所にころがって、全ての虫の音色を閉ざしている。
頃は晩夏であること、暑いと云っても秋口は近い。
gooブログには[テンプレート選択]で、新しい[フラットテンプレート]が選択できるようになった。旧テンプレートと比較すれば一長一短があり、ブログの体裁で何を保持したいかでテンプレートの選択が別れる。自分は旧テンプレートを使用していたが、設定の仕方に従って[このブログの人気記事]を[表示する]に設定したにも拘わらず、ブログには反映されなかった。Gooのヘルプに問い合わせすると、「原因追及に時間がかかるかも知れないが、お待ちください」と返答があって、二、三日後には知らない間に、自分のブログが新しいテンプレートに切り替わっていた。これだと目的の「――人気記事」は再現するけれど、「ブックマーク」の項目一覧がぜ~んぶ消えてしまっている。価値観の問題では有るけれど、これでは戴けない。どちらかを捨てるとなれば「新しいテンプレート」になる。とどのつまりは旧に復したってことで収まりました。旧テンプレートによる根本問題は解決していませんが、結果報告のメールを待ちます。
続き
goo事務局から丁寧な説明のついたメールを戴きました。今まではgooブログトップページからブログ記事面に入っていたのですが、単体のページからでないと「このブログの人気記事」は表示されないとのこと。記事一覧から当該の記事に入ればいいってことですね。なるほど。来月から「有料プランgooblogフォト」に入るつもりだけど、これだとトップページから入っても表示されるものだろうか?
連日の猛暑に苛まされて、、、暇人の語感にしては生々しい喘ぎにも聞こえるが、連日37℃前後の猛暑日が続いてきたのは事実であり、エアコンをフル稼働させたお陰で熱中症にもならず、早朝の菜園の草取りに汗を流して、コロナ感染の畏れから解放されて来たのも事実である。後のシャワーを浴びた爽快さは格別で、苦境を脱して生還した趣さえあった。猛暑が続いていれば夕立はつきものだった天候も、今は昔と思っていたら、二日連続して夕立に見舞われた。入道雲が湧き立つ東の空には大きな虹が架かり、一気に気温が下がって涼味満点の昔に返ったよう。近年は夕立のないのが不思議であったけれど、天然気象の循環作用は消えてはいなかった。
この先、定かでないコロナ後を何とか推理する将来像を散見するが、従来の延長線上に社会経済情勢を描いたものはない。雨後に湧き立つ虹色は現われないのだ。天然現象の理念は通用しないってコトか。コロナ禍のテレワークやリモートワークによる就業規制は大企業では可能だとしても、中小零細企業には無理だと云い、生産部門に於ける現場主義も即変わると言うわけにも行かないから、当然コロナ禍の自粛に伴う経済の縮小は避けがたい。つまり労働者の失業率が高まるのだ。政府が企業優先策を執っているのも、この先を見越しているからだ。モノを作っても輸出は期待できないとなれば、国内消費に頼ることになるが、消費者の所得底上げができない状態では、経済そのものが変革を求められる。貧富の格差は格段の開きが出て、国民の間にも動揺が起きるだろう。どのみち耐乏生活を余儀なくされる一般大衆は、どんな事になっても生き抜く知恵を持たねばならない。
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見えないモノへの畏れは、21世紀の現代でも変わらずに引きずっている。今世紀に入って、呼吸器疾患のコロナウィルス、SARSやMERSと言った前例のない感染症がやっと落ち着いたと思ったら、新型コロナウィルスが最後のパンチとばかり人類に襲いかかってきた。人類に対抗するかのように出現したコロナウィルスは、世界に蔓延して人類の知力を試しているのかも知れない。つまりウィルスこそがエーリアンの先遣隊で地球乗っ取りを謀っているのだとしたら、地球部族は一丸になって防御態勢を組まなくてはいけない事になる。今の一国主義、自国優先の体制では太刀打ちできないので、各国が協力してワクチンを開発すべきだと、医療関係者の評論があったけれど、我先に開発の主導権を握って自国に有意な利益を求めるようでは、エーリアンの次の一手を呼び込むことになりかねない。
そもそも新型ウィルスが登場するのは、人類が地球を痛めつけて、地球環境を汚染させてしまった挙げ句の自選作用なので、来た道を辿って浄化装置を埋め込むか、新時代の次元へグレードアップして、全知全能の神の領域へと進化して、生命の根源である太陽に接近するイカロスのように、限りなき飛翔の果てに歴史を完結する展開であろうか。こうなるには後50億年もかかる夢語りかも知れないが、ただ云えるのは地上に妖怪が蔓延っていることである。世界の指導者に間違った針路を示し、手っ取り早く地球を乗っ取る算段が新しいウィルスとなるのかも知れない。
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梅雨が明けた今、コロナ禍の閉塞的空間に身を置いている疾患者や入所者の方々には、夏到来の実感も湧いてこないと思うけれど、誰にとっても今年の夏は、変則的で消化不良の行事日程を消化していかなければならないという、気の重い消夏法を突きつけられている。お中元の送り届けも済んで、この先には夏祭りや納涼花火大会と続いて、盆の送り迎えがある。地方出身者にとって3密を避けながらの帰郷は難事だと思う。列車で行くには、密閉された箱の中で感染の危険性が高まるし、車で行くにしても若いなら兎も角、年配者の運転では無事に帰って来る自信も保証もないのだから、まして新盆ともなれば尚のこと、想いも散り散りに肉親の面影を浮かべて、ハンドルさばきが怪しくなるのは必定。ここに来てコロナ感染の拡大も足かせとなり、Go Toトラベルキャンペーンの動きを制止して・・・と云うより都民は爪弾きにされたので、どのみち足止めを食うのだから帰郷は無理となる。家に閉じこもり、することには限りが有るけれど、それなりの趣味や娯楽で一日はあっと言う間に過ぎてしまう。ここが若者との違いで、じっとして居られない若者たちが、気の毒にも感染率を上げている。