これからの戦争に勝者はない。通常兵器で始まっても、最新兵器の応酬から行き着くところは核の最終戦になるだろうから。問題は対立国の指導者の質にある。前近代的な思想にかぶれて、領土拡大や専制政治の力学に溺れる輩が核のボタンを支配していると、人類は猿の仲間入りだ。映画・「猿の惑星」では、宇宙脱出して他の惑星に着いたと思ったら、なんとその惑星はかつての地球だった。落ちのついた地球脱出劇は、所詮地球レベルで解決せざるを得ない人類の問題なのだと言えなくもない。チャールトン・ヘストン扮する宇宙船長が、渚に埋もれた自由の女神像を見たとき、望郷の喪失感は如何ほどであったであろうか。ウクライナもパレスチナも当地の人にとっては、廃墟の中の存在者としての虚しさが、何時終わるとも知れない出口なき戦いに疲れ切って、厭戦気分の瀬戸際にいる。頃は良しとばかり軟弱なバイデンに代わってトランプの出番となるが、プーチンとの駆け引きの強引さを見たいものである。ハッタリも戦術の内だからプーチンと渡り合うのも相性がいい。恐らくウクライナ東部のドンパス地方など、占領地の一部はロシアに帰属なんてこともあり得るが、半永久にEU加盟を凍結するが如きは、息を止めて我慢しろと言うに等しく、ゼレンスキー大統領は納得しないだろう。戦いの場で振り上げた腕を降ろす事ができないプーチンにとって、実利に即したトランプの提案を期待しているんだろうな。
今冬一番の冷え込みとあって、今朝の起床はなかなか布団から出られなくて寝坊してしまった。朝食の用意は自分の役目ではあるけれど、既に妻の手によって整えられていた。それでも就寝前と起床時に習慣となっているベッド体操の屈伸運動は欠かせない。お陰で体の動きはすこぶる(年の割には)いいのである。とは言っても寒さには弱い。重ね着に身を重くして、ぐんと気温が下がった晩秋初冬の奥多摩の風情を思いやっている。多摩の山々は紅葉が進んでいることだろう。五日市から奥多摩湖に抜ける高原の道では、重なる山間の樹木を前景にして、曲折する景観の展開に爽快な気分を味わっていた。山上から谷底へ敷き詰める黄金の彩りに、至福の時を手にしているのだ。今年はまだ、その景観を我が目におさめていない。時を手にしたいのだが未だ至っていない。
四季折々の宝物を手にしている我ら、日本列島の平和のど真ん中に居て大自然の恩恵を満喫している身ではあるけれど、一方世界を見渡せば住む家を壊され、寒中に身を晒して食に飢える人が居る。この理不尽な格差は何故に生まれているのか?この解を得るには、過去の歴史を旅しなければならない。
奥多摩の高原に戻れば、登り口の数馬には温泉もあるけれど利用したことはない。多摩のあちこちに温泉があるけれど、入浴したのは五日市の「瀬音の湯」や日の出町の「つるつる温泉」くらいで、大方は自家風呂のゆったりした浴槽で足りている。
四季折々の宝物を手にしている我ら、日本列島の平和のど真ん中に居て大自然の恩恵を満喫している身ではあるけれど、一方世界を見渡せば住む家を壊され、寒中に身を晒して食に飢える人が居る。この理不尽な格差は何故に生まれているのか?この解を得るには、過去の歴史を旅しなければならない。
奥多摩の高原に戻れば、登り口の数馬には温泉もあるけれど利用したことはない。多摩のあちこちに温泉があるけれど、入浴したのは五日市の「瀬音の湯」や日の出町の「つるつる温泉」くらいで、大方は自家風呂のゆったりした浴槽で足りている。
『来るべくして来た』、21世紀の前半にして様変わりの地球変革期に遭遇している。20世紀の大戦後の困難期である国民総貧乏の少年期を迎え、朝鮮動乱を経て日本経済は右肩上がりの復興を遂げてきた。1ドル360円の為替レートの時代であり、太平洋の荒波を被ってアメリカへ行った時は、10ドルの制限持ち出しという海上労働者最下位に対する規制?もどきの制限があって、碌なお土産も買えなかった。そしてSONYやHONDAからTOYOTAへと海外輸出最盛期を迎えて、我らの住宅取得も車の購入も可能になった。日本の労働者にとってプチアメリカ人になった気分が、極短い時間ではあったけれどあったのである。川を渡る飛び石の位置づけで、次なる経済勃興の地へと日本から離れて行ったのも自然の理のなせる業か、この大きな力に対抗するが如き夢よ再びの巻き返し力で、世界に激震を漂わせている大国の問題は危うい。北方の熊さんもこの激震を感知したからこそ動き出したのかも知れない。自然の理に抗する力は弱いものだが、せっかく自然の理で巡り合わせた恩恵を、自国の独断的政策のためにザルのごとくチャンスを滅する国には、運が隣へ飛んで行きかねない。
2008年のリーマンショック以来、世界の経済は下降したまま新型コロナのダブルパンチを浴びてインフレ時代を引きずってきた。経済の状況とインフレの関係も素人には大雑把にしか分からないけれど、経済をけん引しているのはなんだかんだと言ってもアメリカである。トランプ政権が再登壇するとなると、関税引き上げは待ったなしで、輸出に頼る国々は戦々恐々の態であろう。中国もサプライチェーンの中心地として世界に商品を送ってきたけれど、不動産やインフラ事業の無理な拡大もあって経済の停滞を招いている。時代の変換期は吹き出物のように次から次へと問題噴出して、混沌とした世相が騒乱へと導いているのも、パターン化された人類史上の態様である。ウクライナやパレスチナ情勢がどのような終決を迎えるのか、場合によっては核の認識がガラッと変わるかも知れない。大国の位置づけも内紛の起こりようによっては様変わりするかもしれない。この次の時代はどんな姿をしているのだろうか。
衆議院選挙が過ぎて世の中の動きが始動したかに見えたところ、野党の一部が是々非々をもって与党に与すると宣うた。つまり与党化するってことで本質的な今までの流れを補佐すると言うに等しい。今、問題になっているのは与党の政治姿勢のはずだが、政治の場の国会で緊張感がないのは、長期政権による独断と惰性によるのだから、これに対立する勢力を登場させ、国会議論を活発化しなければ緊張感は生まれないと、やや期待していた矢先にこの有様なので、選挙後のバラバラ政党の目論見は、目先にぶら下がった人参を追いかけて、崖っぷちが見えていないもどかしさを感じる。
世界が混乱の最中にあって、小国弱国は大国の荒波に翻弄される危機的な時代であるから、大局に立たないと危うくする。文明も伝統も風俗も霧の中に彷彿として、地に足のついた姿は幻となるか?
世界が混乱の最中にあって、小国弱国は大国の荒波に翻弄される危機的な時代であるから、大局に立たないと危うくする。文明も伝統も風俗も霧の中に彷彿として、地に足のついた姿は幻となるか?