「天井が低い」と嘆く子がいる
世界が縮まっているのは
貴方のせいだと言う
少女よ
過去のくびきから解き放て
己の呪縛を飛び越えるがいい
心を解放され赦すことは
何ものにも従属しないことだ
少女慰安婦の再生を祈る
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2015年もあと数時間で終わる
我がうちの出来事は少なく、世界の大事件が頻発したこの年
日本人も様変わりした。
今年を締めくくる一字は『安』とか
日米韓の安保が響き合う。
最終的に自分の身は自分が守るほかない。
ポケットにはナシのつぶてと
いくばくかの夢がある
ブログの皆さん愉しい正月を迎えてください。
正午過ぎから家族連れで、武蔵村山市にあるイオンモールに行く。正確に言うとイオンモールの隣地にある、「木下サーカス」を観るのが主目的で、イオンモールはついでに寄って食事をしただけ。
実を言うと無料券を頂いたので、子供心に帰ってサーカを観ようってことになったのです。サーカスを観るのは何十年振りだろう。昔?は木下サーカスの他に柴田サーカスと云うのがあった。今でもあるのかどうか、、、それはどうでもいいのだけれど、今日のショーで驚いたことは、団員構成が国際的と云うか、外人のプレーヤーが多かったこと。パフォーマンスの発揮力からすると、混成の相乗効果みたいな幅が出て、日本人のプレーも素晴らしかった。
女子新体操如きのリボンさばきも目の保養になったし、白いライオンたちの牙をむく恐怖が、調教師の運命やいかに?と思わせるところなど、他の人がお金を出しただけの見せ場はあった。サーカスは何と言っても“空中ブランコ”が醍醐味だろう。気合いを計って相手に飛び移る姿は、見ていて爽快だ。
のべつ幕なしの2時間が終わり、イオンモールの駐車場へ車移動する。ケンタでチキン1ピースとコーヒーを注文し、その後博多とんこつラーメンを食べて、早めの夕飯となる。
我が家では歳の暮れのカウントダウンが始まった。と言っても大雑把に掃除を済ませ、賀状をプリントアウトして投函した後、残るは障子張りとテーブルのリフォームなんだが、年内と限ったわけではないので鷹揚に構えています。
12月も3分の一が過ぎようとしている。
日々の生活は淡々としているが、それなりの変化もホームサイズで起きている。
概して言えば静かな佇まいの中に居るものの、時たま発するカミさんの声がサイレンのように聞こえてくるときは、居間から2階の自室に閉じこもってパソコンに向かったり、本を開いたり閉じたり、、、何やかやと時を過ごしているのである。
奥多摩の山々の稜線がくっきりと見える近頃は、朝夕の気温の低下が肌で感じられ、空気も澄んでいるのが分かる。
多摩地域から見える限りで言えば、ぽこんと突き出た大岳山1266mが最も高い山としてシンボライズされているのだが、我が家では『ぽこん山』とか『おっぱい山』と呼んで親しんでいる。大岳山から右下に稜線が流れて、杉の木立ちが連なるところに御岳山(みたけさん)があり御嶽神社がある。起源は相当に古いらしく、山法師修験道の霊場として現代でも崇敬されている。
少し遅いかも知れないが御嶽神社の前からやや脇道に入った先に、銀杏の落葉を敷きつめた黄金の山道があったのを思い出す。今年も行こうと言いながら流れてしまった。天狗岩はこの先にある。
御嶽神社は標高929mで東京西郊が望見出来る位置にあるが、もともと奥多摩から秩父にかけての山地一帯は、鎌倉時代や戦国時代においては歴史を彩る英雄たちの割拠していた地域でもある。御嶽山の国宝、赤糸縅大鎧は畠山重忠が奉納したものと云う。
作家の浅田次郎が『神坐す山の物語』の中で述べている。幼少期を祖父である御嶽山の御師の家で過ごしたこと、生まれながらに見えないものが見えると言う、霊視を授かっていたことなど、深山幽谷の人里離れた境地から抜け出たような、山の出来ごとが書かれていて興味深かった。かつての山上の修験生活が、人間を超越して神の領域に深く関わって生きていたことは、清々しい。霊界の怖さも十分に織り交ぜて読者を楽しませてくれる。まだ半分ほどしか読んでいない。
室内や外回りの大掃除を始めたところ。天気が良く好天が続けば、テーブルのニス塗りや賀状作成に取り掛かるつもり。
「己を知る~」いささか後ろめたい気分が伴う、ネガティブな姿が白日のもとにあぶりだされてしまった。体も精神状態もまだ若いつもりでいたのに、運動機能が落ちている。直面している状況に意識が働いている限りは、脳の働きも直接的瞬間的に反応してくれるのですが、『直面している状況』から意識が他の方に向いていると・・・まったく障害物も目に入りません。事故ってこんな無様な意識欠如から起こるもんですね。
最近のことです。自宅を出て間もなくの丁字路で、ロシアンルーレットのようなタマタマの出会いによる体当たりを起こしてしまいました。他車の側面に凹みと擦り傷をつけてしまいましたが、幸いスピードが出ていなかったので人身事故にはなりませんでした。
自車の損害はなく、バンパーに擦り傷ができただけですが、全ては吾が身の至らなさから起きたことですから、誠意を以って保険による修繕を申し出ました。助手席に乗っている人も、運転者が運転に専念できるように配慮すべきことを付言しておきたい。(ドジ日記より)