山懐に吸い込まれるように
中央道を走る
高尾山の裾を貫くか
空中回廊の大きな曲線・・・
圏央道の高架が空に舞う
焼きついた一瞬の交叉、
カメラを向けた
いつ来ても完成しない回廊・・・
暑い、だが
ちょっぴり冷気も・・・
霊場に大穴開ける
反対の声が木霊した
ここ二日ほどカフエをお留守にしました。
お出でくださった方には、失礼をしました。
始めちょろちょろ、中パッパッ、・・・ですから、月末にしわ寄せが来るのです。
元来仕事そのものは、好きとは言わないまでも嫌いではありません。集中して物作りをしていると、いい加減を寄せつけない性分なのかな・・・自分で納得がいくまで工夫を凝らします。
自営ではあるけれど、オリジナルを作るほどの才覚も資金も無く、事業とは名ばかりの請負工芸をやってきました。
何度かオリジナリティな作品と思い、挑戦して飛躍を試みたこともありましたが、狭いこの業界は情報が筒抜けで思うように事が進みません。そんな訳で趣味に徹した、オリジナル成品をアクセントとして、息抜きしています。
すでに何人かの人は、私が誰であるかわかっているでしょう。私も何人かの人を嗅ぎ分けています。(犬じゃないけど)
このように書いても職業を言っていませんね。「特殊なものづくり」、で勘弁してください。
西武ドームで行われている、『国際バラとガーデニングショー』が最終日を迎えた。
娘が母親に強要して、「見たい」と言うので最寄の駅まで送って、今帰ってきたところ。
先日の日記では、「東京ドームで・・・」と、開催場所を間違えて記してしまったけど(訂正済です)、こう言う催事には気が入らないんだよなぁ。
正直なところ、盆栽趣味的催事はあまり関心が無い。ある程度広い空間に展開する、自然環境下の観察なら文句なし、抵抗感なしに受け入れられる。一方の世界を知らないからだね。
西武ドームも、最終回だから混雑しているだろう、終わればラッシュアワーで、もみくちゃになって帰るわけだから、今晩のおかずに影響が出る・・・。
五月晴れの好天気に恵まれて、梅雨前のつかの間の暑い「夏日」となりました。家々には鯉幟ならぬ洗濯物の満艦飾が見られ、洗濯の絶好日到来です。
ひるまえのNHK・BSでは、『国際バラとガーデニングショー』が、西武ドームの特設会場から生中継で放映されていた。
本場の英国風ガーデンのミニチュア版ともいえる、区切られたブースの中で様々な人がバラを競っていた。
香りが茶の間に届くかのような、バラ、バラ、バラ、である。
案内役の柳生慎吾も自前のブースを持って、別荘のある八ヶ岳のイメージを表現したと言う。実はこの『国際バラとガーデニングショー』を私は既にみている。
八ヶ岳とバラ、この取り合わせに多少の違和を感じないわけではないが、慎吾の笑顔が「そんなことどうでもいいよ」と払拭してくれた。
柳生家の別荘は知らないが、お店のほう『八ヶ岳倶楽部』には何度か行ったことがある。レストランとショップを兼ねた店の裏庭が、自然林のままでいい。絶えず野鳥の声が降ってきて、枕木を敷いた遊歩道に立つと、高原の爽やかな冷気が身を包んでくれる。
慎吾はこのような林の雰囲気を表現したかったのだろう。肝心な彼のブースはタイミング悪く見られなかったけど。
もう一つ気を引いたのが『イングリッシュガーデン』という名のブースで、信州蓼科にある純英国風の庭園である。ガーデンとスナックショップを併せ持ったユニークな庭園であり、ここにも一度訪ねたことがある。
さほど広大ではないが幾何学的配置の庭園で、管理しているのも英国人だから英国風の感じはする。
この『イングリッシュガーデン』のブースがどうであったかは見逃した。はなはだ心もとないガーデニングショーの、まあ、思い出記になりました。
雨がしとしとと降っては半日ほどで止むパターンが進行している。中途半端な天候ではあるけれど、そのうちどっさりと五月雨の洗礼を受ける日も近い。
変化の無いわが身ながら、世情の暗いニュースに目がいく。暗澹とした五月と云うのは季節柄受け入れがたいが、その真っ只中にいる。
忌まわしい事件や事故の数々、幼い命の犠牲もあった。人の親として心が痛む。
世界はとぐろを巻いて人々を飲み込もうとしている蛇のようだ。早鐘のように脈打つニンゲン。
灰色の曇雲ひきよせすみれ咲く
今日も晴れませんでした。
人間の感情の不定性、意気の弱さに比べて、植物たちの生命力の強さに驚いたり感動したり・・・庭の隅に咲いたすみれの花、灰色の空に紫が冴えます。
雨後の夜の積読本の多さかな
雨後は気が鎮まるというか、大気の中を遠くの方へ思いを寄せる、定かでない意識が生じて、ぼーっとしているような、何処かで冴えてるような、一種の快感すらあるのだが、甚だ捕らえどころの無い吾が身を眺めていたりする。
こんな時は、やたら分厚い本を書棚から取り出して・・・例えばP.F.ドラッカー著『断絶の時代』なんか・・・やけに重い書物の手触りに安堵感を覚えたりして、そのまま仕舞い込んでしまう。決して読むことが目的で無いから、ページをめくっても二、三行を目でなぞるだけである。かなりシックな雨の後遺症ということか。
今日は雨です。畑の苗にとっては絶好の慈雨になったと思う。昨日は菜園の苗植えを手伝い、私は畝の掘り起こしと周りの草取りに専念しました。かなりの時間をかけて日没まで没頭しましたが、背の高いメキシカンセージの根は、横に張って新芽を出すので、周りを深く掘ってスレートで遮断することにした。
雑草もところかまわず伸び放題で、全部取りきれないうちに日が暮れた。菜園主の女房どのが体調を崩していて伸び放題だったものが、これで一応すっきり。
裏の小屋作りも手がけてきたけれど、一昨日でほぼ終わっている。終わったと同時に疲れもどっと出たのですが、体全体を使う畑仕事のお陰で、サビ落しになりました。
今から六百数十年前、明国から世界の果てに大航海を成し遂げた人物がいた、その名を「鄭和」。
しかも七度の航海の途次に病没するまで、各国の文化や文物を持ち帰り、皇帝に奉げたそうな。
大型帆船を建造し、大船団を率いても武力を用いず、宗教や思想に介入せず、友好的に回航した。
明国の偉大さを行く先々に示したのである。バスコダガマの東征はこれよりずっと後のことで、武力をもって他国を植民地化し、虐待の限りを尽くした。
つまりヨーロッパは野蛮な国だったのだ。
ポルトガルがバスコダガマによってヨーロッパ文明のさきがけとなるのは、明国の衰退と大航海の廃止という歴史の転換期に導かれたもので、アフリカからインド、東南アジアの国々が長い間にわたって植民地化する、歴史の非常さを「鄭和」の平和外交を知る今、感じます。
5月3日NHK総合テレビ放送。