小雨に煙る中、山間の道を縫うように走る。相模湖のある北部から南へと、この辺は山また山の起伏と変化に富んだ山村で、月の末には必ず通るお馴染みのコースである。
しとしとと降る小糠雨は、山合いをうっすらと靄って物語の世界のように幻想的だ。小糠雨は私の胸の中にも忍んでくる。同じ道でも状況によって風情は変わるものだ・・・独り想いに耽りながら、今までの往き来した風景を思い返すのだった。
車往来の少ない道であればこそ浮上するシーンではありませんか。
目的地の工房には、男一人女二人のささやかな営みがあり、もてあまし気味の広い、がらんどうの空間が目を引く。棟続きのL字型の一室がギャラリーになっていて、制作した作品が品よく並んでいる。ここだけが華やいだアートの気品を保っていて別天地の感がある。
帰路スーパーに寄って弁当を買い、屋上の駐車場から相模湖の一角を望見しながら、遅い昼食を摂った。
”為さざるは動かざるに如かず”
訳せば「あと一歩の踏み込みが足りなかった」と言うべきか。
物事にはタイミングと言うものがある・・・私たちの日常は微妙にタイミングがずれていて、それ故に変化に富んだダイナミズムも生まれてくるのだが――その代表として失恋失楽、嫉妬憤怒、悲喜劇の日常茶飯事がふんだんに降りかかって、いわばバラエティ人生の栄養素になっていますね。
何でこんな事をと訝るのもご尤も。
月末を迎えて、正月に楽した分だけ残業に苦しんでいます。身から出た錆?・・・そうかも・・・。
狭い仕事部屋に一人篭っていると、彼の茶室での極限世界を垣間見た感がしないでもない。千家の茶室と我が家のオンボロ小屋を比較するのは無理があるけど。
つまり予感の働く場所なのです。
時間と場所を越えて飛翔する場所・・・自由空間。
それにしてもタイミングをいかに上手く掴み取れるか(?)英雄とヘボを攪拌して中庸する坩堝(るつぼ)。
タイミングのずれは、バラエティに富んだ日常を育み、運んでくれる一方、ドラマも仕立ててくれる。「旅愁」や「君の名は」など・・・
(映画はあまり知らない・・・)
もしもジャストミートなタイミングがあるなら、時間を停止してアニメの画面のように、背景の人物は動きが止まり、メインキャストの二人だけが動ける場になるかもしれない。
日中は快晴の抜けるような青空なのですが風も強く、肌を刺す冷たさが戸外を覆っていました。近くの〒ポストまで歩いて行って来ただけで目の周りが真っ赤になって身体が膠着しそうでした。
こんな日でも庭の陽だまりの梅ノ木にメスのジョウビタキが訪れてきました。今冬初めてです。オスのような派手さは無いけど大きな丸い目はメジロのようにパッチリとして可愛い。ガラス越しの私たちに臆する様子も無く枝から枝へ、まだ固い蕾の間を行き来していた。
それにしてもずいぶんと遅い訪れです。
今までは山や林の中に十分な餌があったからなのか、理由はどうであれこれからが楽しみであります。
六本木ヒルズ、勝ち組の摩天楼ですか。
50数階ひしめくIT産業の巣窟は、うごめく錬金術師の砦であることは分かるとしても、株分けしてごたごたの間に株価を吊り上げ、増えた資産で企業買収に走るとなると、私の常識的理解度を逸脱して、途方もない彼方の蜃気楼のように思えてきます。
ライブドアの引き起こした大砂塵は、東証を機能不全に陥れて株価は全面安、投資家はバブル崩壊の再来に等しく大損しました。堀江ドラえもんや三木谷楽天の面相も全面安です。金のことしか脳内に無いのだから、彼らが野球球団を投資の対象として運営すれば、ますます面白くない野球を見せつけられる羽目になりかねない、などと余計な詮索をしてみた。
天国地獄疎遠にあれど胸の深奥近しきものか
ずっしりと肩に食い込む疲労感は?
仕事の虫じゃあないし
あれこれ思案の果てでもなし
深夜のパソコンいじりかな?
それとも・・・・・・
そうかな?
あなたは意地が悪い!・・・
そんな見方ばかりしないで
あなたの取り越し苦労が
溜りたまっているのだから???
宮中の歌会始の儀が催された。題は「笑み」
天皇陛下
トロンハイムの運河を行けば家々の窓より人ら笑みて手を振る
皇后陛下
笑み交わしやがて涙のわきいづる復興なりし街を行きつつ
皇太子殿下
いとけなき吾子の笑みまひにいやされつ子らの安けき世をねがふなり
同妃殿下
輪の中のひとり笑へばまたひとり幼なの笑ひひろがりてゆく
召人より二首
東京都 桧山多代さん
電話鳴り出るたび笑みがこぼれだすまだ言え慣れないあなたの苗字
大阪府 川阪友未さん
お母さんすぐおこるけどすぐ笑ふでもまたおこるそのくり返し
年齢や社会層によって歌風もさまざま、皇室には伝統の気品が伺えるし、庶民の歌には微笑ましくも生活臭が感じられる。
冒頭の拙句はやはり気になる妃殿下のことゆえの一句。
冬日向虫になりたる甲羅干し
風も無く柔らかい冬の日差しが南に面したベランダに、さんさんと降り注いでいる。
壁を照した陽光はベランダの床に反射して、陽溜りの塊をつくっている。凍えていた体を温める絶好の場所になった。冬の虫(私)が甲羅を干している。
一昨日から仕事始めでしたが、思いのほか体が動いてくれた。遠出もせず近くのスーパーやホームセンターに足を運んだだけで、疲れる行程を組まなかった正月だからこそ体が動いたのだと思う。
賀状が何枚か届いた。昨年は母が亡くなり「喪中欠礼」状を出してはいるのだけれど、賀状をくれた方には「寒中見舞い」で返礼した。
明けましておめでとうございます。
巡り来し真白な時を新たなる命のごとく厳かに観る
昨年はカフエのお友達ありがとう!
今年もよろしくお願いいたします。
毎年のことだけど
お掃除をして障子を張替え
お供えを飾って
人並みに正月を迎えた
当たり前が特別に感じる
不思議
年毎にそんな思いが
するのだろうか
「紅白歌合戦」を観て、
メッセージの色合いが濃い歌
と感じたのも新発見だった。