conparu blog

ささやかな身の回りの日常を書き綴ります。
[ブックマーク『conparuの白い航跡』もよろしく]

窮屈な・・・世界

2015-03-26 19:00:51 | 随想

大上段に構える・・・・・見栄を切るポーズには違いないが、その後のなりふりが気になる。
振り上げた拳の下ろし方に通じる粗暴さと、短絡的な思考も垣間見えるからである。
他人様に拳骨をふるうどころか蛮勇が無い自分としては、いささか気の重い日常を送っている。

何と言っても世界は暴力に犯されている。、タリバーンやIS、ボコハラムの連中が自分たちの意を通そうとして、騒乱を起こしているからだ。彼らに共通しているのは不満分子の集団で、反政府行為が武力闘争であること。

だが、国境をまたいで活動している反動集団の地域は、生活が貧しいゆえに彼らを受け入れる素地もあるのだろう。
思想の宣伝教化によって住民を取り組んでいく手法もある。

グローバル化が進んだと思ったら、経済のぎくしゃくが国際関係を切り刻んでしまった。
寛容な気風はナショナリズムの台頭とともに勢いを失くし、大国は自国優位の占有化へと走っているのはロシアや中国を見ても明らかだ。米国だってTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)を利用して、自国の優位を図ろうとしている。

経済先進国と後発国の格差はますます拡大するのは目に見えている。紛争もまた格差ゆえに拡張するとすれば、地球上の居場所も狭められていく。東南アジアの経済向上が一つの救いなのではないか。BRICSの牽引力が何処まで持ち堪えられるかも問われる。<サウジアラビア軍がイエメンの反政府軍を空爆した>一筋縄ではいかない中東情勢は今後どのような展開を見せるのだろう?

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春らしく

2015-03-20 21:18:22 | 日記

梅花は散り始め、鉢植の桜草が咲いている
クリスマスローズはずいぶんと長く咲いているが
何時もうな垂れて顔を見せようとしない、恥ずかしがり屋だ

陽気もすっかり春らしくなってきたので
そろそろ畑の出番が訪れようとしている
地主さんから借りている畑は30坪ほど、約100㎡の
小さな楽園なのだが

先月の初めに豆耕運機を買って
試運転がてらに耕してみた
小さいながらも「ホンダこまめ」のガンバリようは
右に左に溝を揺らしながら

あっという間に5~6畝を耕してしまった
おかげで腰痛の心配も薄らぎ
畑から解放される時間も増えるだろう

ボケ防止のためには何かをやっている方がいい
日本でもMOOCという無料学習の講座ができた
ネットを利用しない手はない

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冷えます

2015-03-10 20:27:19 | 日記

真冬が戻って来たような寒気に包まれています。
体もいつになく硬い感じがして、炬燵から抜けられない。
伊予柑を食べながらクロスワードに興じていたけれど、、、

思い切ってノートパソコンを開けてネットニュースを見る。
IS(イスラム国)では、ここに来て離脱者の一団とISの戦闘員との間で撃ち合いがあったとある。
欧州系の若者が理想と現実の乖離に幻滅して、離反したもののようである。
所詮ISは既定のものを破壊するだけの、自己顕示に終始している。理想なんて何もない。
当然の帰結が垣間見えたと思うのは少数派だろうか。

ドイツのメルケル首相が昨日来訪して、記者団の前で講演した。
ウクライナに観る紛争が泥沼化する恐れがある中で、東アジアの領有問題や戦後処理のわだかまりが、日中韓の火種となって、一歩間違えれば欧州とアジアをまたいで大戦が勃発しかねない恐れを感じたからだろう。中国の動きも感じ取ったに違いない。

だからこそ第二次大戦の敗戦国として、隣国との友好関係と謝罪、隣国の過去を許す寛容さによって今日の世界に誇る経済国を築き得たドイツとして、阿部日本の危うさに警鐘を鳴らしたものと解釈したい。

それと、小さなと言っては失礼だけれど、ある競馬騎手の死について「?」が寄せられていたことについて考えさせられた。氏はレース中に落馬して頸椎を痛めたが、療養の後、復帰戦をこなし戦績もよかったとされる。

突然の死を選んだ背景が『?』なのだろう。
憶測だが、頸椎を痛めた人の同じ運命を辿った女人の事故で言えば、バスに乗っていて追突事故に会い、頸椎を痛めた上うつ症状となり自死してしまったのであるが、頸椎は神経の束が通るところ、頭を支える負担も大きい。

思うに氏の落馬による頸椎損傷(脊柱損傷も?)が、復帰戦の激しい運動の負担に耐えられず、魂が凍る冷やかな境地へと生命力がそがれて行ったのでは?と思うのだが・・・

そんなこんなで今夜は良く冷えます。

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惜別

2015-03-03 20:51:05 | 日記



何方かのブログ日記で、『人生80歳近くもなると、周りの知人友人が次々と亡くなり、最後は一人ぽっち…寂しい』と嘆いていた。
産れて来る時も一人なら死ぬ時も一人、その覚悟が我にも備わるか?人それぞれに「時」を消化する認識度は違うし、内容の重さも違う。

死の恐怖を抱いて老晩年を迎えるなら兎も角、まだ若年のうちに一生の時を刈り取られた少年の告別式が今日だ。内容の重さから云えば80の老年が迎えるであろう体験的年齢にひとしい生死の苦悩が詰められている。

この少年も世に惜しまれて逝った。惜しまれるほどに大人たちに残したモノは何だろう。
今の時代は悪の最盛期とも言える悲惨な出来事が多い。聖書にも『悪魔が終わりの時を知って――暴虐の限りを尽くす(慨意)』とあるように、タリバーンやボコ・ハラムやIS(イスラム国)のように。反社会的暴力がクローズアップされてきた。一面的には彼らの主張する正義も分からぬではないが、暴力で破壊する行為には世界は賛同しない。

一人の少年が犠牲になったことで眠りから覚める社会もある。覚めてほしいものだ。
少年のご冥福を祈ります。

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