conparu blog

ささやかな身の回りの日常を書き綴ります。
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『どこから来たのか?』夢想論

2017-04-29 23:56:36 | 随想

『日本人はどこから来たのか?』海部陽介著
この題名からして天空を飛んできた、途轍もない民族の秘密が宿しているように思える。もっとも後発組の天孫族に言えることだが、古人は『海を渡ってきた』とは言わず、『天から降りてきた』と記されるところに、シャーマン的な呪詛の匂いがするのと、文学的資質の天賦を備えていたのだろうと、勝手に想像解釈するのである。古代日本の最初の渡来者は、朝鮮半島経由で島伝いに北九州へ上陸したと言うのが定説になっている。この本でも大陸経由の遺跡年代の追跡によって其のルートが確認された。恐らく渡来第一群は『出雲族』ではないか。
大陸からの渡来ルートは朝鮮半島経由の他に、シベリアから南下した樺太経由や台湾から航海技術によって北上した琉球経由の3ルートがあり、それぞれが本州に進出する年代差のなかで混血を深めていった。海部氏の説明である。

出雲族は本州の広範囲を支配していた大王国であった。東北南部には大国主命の第二子「味鉏高彦根命」の農事開拓を尊崇して、奥州一宮『都々古別神社』を創建していることから、相当の威信があり勢力も強大だったことが想像できる。
2世紀の『卑弥呼の都』は九州北部に限定され、出雲の大王国から見ればローカルな存在である。この勢力図を前提に想像力を逞しくすれば、出雲王国は卑弥呼以前に遣魏使を出していたのではないか?と思う。その費用として大宝山(栃木、福島、茨城県境の八溝山)の金塊を掘出したと古事にあるからである。
さらに想像力を膨らませれば、出雲の大国主命(大物主)と卑弥呼の間に何らかのトラブルが発生して、出雲の九州征伐へと動き出す。出雲は九州全土を制覇して卑弥呼の都は潰えた。あながち空想とばかりも言えないだろう。
天照大神を戴く天孫族の一部が、壱岐国から九州に攻め入り勢力拡大に打って出る。または魏の後滅亡した晋の皇族が南海から九州に上陸した可能性も想像上ではできる。若しかしたら卑弥呼のリベンジを代行したのかも知れない。古代研究者からは怒られるかも知れない、無責任な夢想ではあるけれど、素人の特権?として許して頂こう。

 後日追記
夢想論を展開するうえで古事記の記述がベースになっていますが、如何しても「卑弥呼の都」が潰えた後の天孫族、天忍穂耳尊(アメノオシホミミノミコト)の勢力が強大であったことが腑におちないのである。卑弥呼の属領である「壱岐国」にいた司令部隊が乗り込んで来たというには、卑弥呼との力のバランスが取れない。であるから、もっと進んだ軍事力を具備した一団が、乗り込んできたと想像するのである。ある説には百済王の後裔だとかいわれるが、威光によって周りを服従させる高貴さがあったかどうか?なのである。
天忍穂耳尊の一団にはそれが感じられる。


 更に追記

大国主命と「因幡の白兎」についても、暗示的な謎解きが隠されているように思える。因幡の白兎は鰐の背中を伝い渡って、因幡に上陸しようとします。、あと一歩のところで鰐に食いつかれ、皮を剝がれてしまう。無一文になったと言うことでしょう。居合わせた大国主命によって、一命を取り留めた白兎は「貴方はこの国の姫と結婚するでしょう」と予言します。私はこの姫と白兎が一体ではないかと推測しています。大国主命を迎えた白兎は、皮肉にも追放されて下野する処遇となる。・・・卑弥呼と何処かで交わるような気がしてきます。

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ホモサピエンスの冒険

2017-04-23 21:05:36 | 随想

「古代をかじる」の靄が晴れて  2015年9月26日ブログ
http://blog.goo.ne.jp/conparu2/e/712b3a10627b73cbce32d5088d466a9b

自分の中で古代史の筋というか、先覚者の諸説の中から、自分なりの歴史の流れを納得したい、その思いで記紀に係わる神話に興味を持った。過去にも当ブログで『古代史をかじる』という題で、歴史研究家の論文を借用しながら、例えば『天孫降臨』や『神武東征』の条で、歴史と云うよりも物語として感想を記してきた。でも、筋がいま一つしっくりしない。分からなのである。

その第一は邪馬台国の始原が分からないこと。卑弥呼と高天原に起生する、天照大神の子孫、天忍穂耳尊を祖とする天孫族との関係が何も書かれていないのである。第二に出雲の存在が「スサノオ」を神祖として、大国主命の『国譲り』に至る一大展開で、あっさり片づいていること。大国主命の孫である長脛彦は、最後まで抵抗して長野に逃れた、この一事でも、あっさり行かなかったのではないか、という疑念。(本文抜粋)

さて、今日の日記は神話から古代日本の歴史的考証がもやもやのなかに仮定されているだけで、とんと空中楼閣から抜け出ていないにも関わらず、一部においては卑弥呼の都が北九州にあったとする説が有力になってきているのではないか。
古代を覗き見るのはロマンを感じるからで、誰も確たる時代を生きたことがないから様々な傍証を引き立てては持論を展開する。
歴史の面白さはその想像力にある。てなわけで最近また、もっと大がかりな人類(ホモサピエンス)の移動経路を、古代遺跡の遺物による年代測定によって、経路順を割り出したというユニークな論考
に出くわした話し。

人類進化学者 海部陽介著「日本人はどこから来たのか?」文藝春秋刊 ¥1,300(税抜き)

学者の本にしては息もつかせない面白さと、流麗な文体のおかげで一気に読んでしまった。
大雑把に言ってしまえば、アフリカを振り出しに文明の十字路へ、其処からてんでんばらばらに未踏の大地に向かって大移動が始まった。これが4万数千年ほど前のホモサピエンスの冒険の始まりである。好奇心が並みじゃなかったんだ。面白いのはヒマラヤを南北の二手に分かれて東進して、1万年後の東アジアで合流した形跡があること。つまり日本に渡った民族の一部には混血があった。
東進といっても一様ではなく、朝鮮半島経由が本流であるけれど、シベリアから陸続きの北海道に南下したホモサピエンスの一団もあり、大陸南方の台湾あたりから琉球列島に航海してきた人達もあった。それぞれが南下と北上を続けて古本州で混雑民族となる。この筋書きは遺跡の人骨や埋蔵物に裏付けられた足跡を、ルートに沿った外国の資料とも対比させているので、年代の配置によって移動の様子がよく分かった。





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桜往く

2017-04-17 18:05:38 | 詩歌

<目眩く世の末にても桜咲く>   

絢爛と一世を風靡する桜花
汚れた空気を一心に吸い取り
すべては
野も山も原生の息吹の中にあった

西行も愛した桜花を
現世の澱んだ青空の中に
染め抜いて観る




桜の季節は短いけれど なにやら嬉しい 大和花

天気がよいので、ぶらりと散策です
野辺に出れば八重桜が重たげに咲いている
野ざらしのままに枝垂れる桜の なんと飾り気のない清さがいい
保護鳥の雄雉子も花見?に来ていたけれどカメラを向けると逃げていきました


土手に咲いていた可憐な野すみれ

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