conparu blog

ささやかな身の回りの日常を書き綴ります。
[ブックマーク『conparuの白い航跡』もよろしく]

車椅子ラグビー

2021-08-29 20:19:31 | 日記

少しでも力を入れる作業があるとシャツが汗で濡れる。夜中になっても熱気が冷めやらず、昨夜なぞはエアコンをつけっぱなしにしていても、室温は28度を下がらなかった。
こんな折のパラリンピックで車いすラグビーを見た。準決勝の28日、対イギリス戦で勝てば金か銀は確実のところ負けた。競技だから勝ちを目指すのは、どの国も当然なのだが、勝つためには手段を選ばない悪手が随所に見られたイギリスチーム、いただけません。
池崎選手も云っていたが、「あんな手を使うとは思ってもみなかった」の言は清い。せめてパラの競技ではベストを尽くしつつ、お互いを讃え合う心根があって欲しい。中世のスペイン艦隊を破ったイギリス艦隊は、友好を装って近づいてから、ドクロ旗を掲げてドカーンだったのを思い出した。グレイトブリテン、紳士の国だと言われていたはずだが――明けて3位決定戦では、オーストラリアを破って銅メダルに輝きました。日本チームお見事です。

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「世界の終り」

2021-08-20 20:49:52 | 随想

この処、晴れやかなニュースがない。一番身近なところでは、連日降り続いた雨のせいで、畑のトマトがぐちゃぐちゃに腐って、哀れな姿をさらしていたこと。でも、これまでに沢山の実をつけて食を楽しませてくれたから、文句は言わない。
G7一等国だと自認していた当国のほころび、少子化が止まらない中で産婦受け入れ拒否、未熟児死亡の哀れ。笑っている他国がある。米国のアフガンも、もっと輪をかけて同様だが、「世界の終り」と云うには何処か漫画チックで、笑えない。全てはコロナが世界をオチョクッテイルノダ。コロナ、コロナ、全土を覆うデルタ株の脅威は、全戸に迫る密閉型屋内避難で、屍になろうとも外気遮断。コロナが諦めて元の巣に帰るのを待つのみ。文明とは斯くも脆い基盤の上に構築されている。救いを求める境地があるとすれば、内なる虚空の望見か・・・全ては宇宙の広大な中の一隅に住む我ら。

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地球異変

2021-08-15 21:16:46 | 随想

温暖化が地球上の切迫した問題になっている。北極海の氷が溶けて海水面が上昇すれば、当然海抜0地帯の島国は海中に没する。地球規模の気候変動は有史以前から繰り返されてきたはずだが、我々が生存している21世紀に、このような変動のサイクルに出会うとは、これも何かの因縁というか、出会いの意味を探るように仕向けられているようにも思える。
かつては日本の内陸部まで海水が入り込み、縄文人のグルメであった食の集積地、貝塚が至る所に残っているのを見ても、気候の変動が割と短い周期で起こり得るのだと、考えさせられる。1万年前か10万年前かは学者でないから頓着しないが、二酸化炭素が増えたわけではないし、若しかしたら火山活動や自然発火の影響で、山も海底も熱かったのかも知れない。妄想に暮れるコロナ禍中で、ちょっぴり涼しさの漂う夏の夜の、冷たくもあり暑くもある現象に、思いを馳せてみました。

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オリンピック残像

2021-08-09 21:52:08 | 随想

東京オリンピックも幾つかの感動シーンを残して、祭りの後の寂しさが漂う朝を迎えました。アスリートたちの、コロナ禍中に開催された東京オリンピックには、格別の思い入れもあったようで、勝利を競うのは当然だとしても主催国への温かい視線を感じた。アスリート自身も、コロナ感染の危惧をくぐり抜けてゲームに参加したのだから、それぞれの思いは重なり合う。何よりも東京オリンピックを開催してくれた日本への、感謝と労いの言葉が嬉しい。ボランティアの都民や医療者にとって、肩の荷が下りたことだろう。様々に感動を与えてくれた競技の中で、数えれば切りが無いのだけれど、ただ一つ上げるとすれば、マラソンのキプチョゲのゴールした後の眼差しが印象深かった。苦しみに耐え抜いた慈顔の奥には、優しさとやや憂いがこもる瞳が、現実の勝利を越えた地点を見ていたように思えたのである。キプチョゲは地味な存在にも拘わらず、私の中ではシンボル化した存在になった。始めのうちは冷めた気持ちでオリンピックを迎えていたが、アスリートの熱意に溶けたアイスクリームのように、角が取れていました。

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