コロナ禍の様相が今までの日常生活を変えてしまった。と言っても、元々高齢者家庭なので、私の意識の中での変化と言う面が強いのだが、「自分空間」を意識する事が多くなった分、自分を見つめ直す作業(?)も必然的に到来した。コロナ禍による自粛モードが自宅に篭もって何かをするとなると、高齢者なら読書とか家の周りを歩き回る、TVを観る、音楽を聴く、孫と遊ぶくらいだろう。が、私には孫はいないから自分と遊ぶ他はない。
夢想をするにしても、Eラーニングするにしても、自分と向き合うことで「自分」を客観視することが出来るから、自分自身を料理することにもなる。敢えて鏡に映ったよそ行き顔ではなく、普段の顔の中にこそ自分を許容するものと排除するものが混在しているのが見えてきたりする。しかし分ったようで分らないのが自分の姿なのである。
夢想を膨らませて言うならば、この世は分らないことばかり。
つい最近のことだが、米国防省の発表によると、未確認飛行物体UFOの視認者が増えているそうだ。直角に移動したり、常軌では考えられない不定動作を示したかと思えば、瞬時に消える。潜水艦が水中レーダーで捉えた物体は100ノット(時速185㎞)と云う常識では考えられない水中速度だったと云う。これなんかも超常現象以上は解明されていない。そのようなものが現われている時代だと云うことになる。
未だ梅雨明け宣言は出ていないけれど、気温30度を超える日中を避けて、朝のうちに畑の収穫をした。朝と言っても8時半頃から3、40分程の時間であるが、時間とともに背中が熱くなり、汗びっしょりになって帰宅する日が週2度ほどある。今時の収穫と言えばトマト、胡瓜、インゲン、茄子、ピーマン、モロヘイヤ、それも段々と減ってきて収量は心細くなっている。トウモロコシは既に二度の収穫で消えてしまった。
東京オリンピックの開催式が間もなく始まろうとしているが、どうも熱気が伝わってこない。自分も醒めた目でテレビ画面を見つめているのだから、先ず自分の心こそが距離を作っていることになる。選手たちは精一杯、この日のために練習の成果を出そうと頑張っているのだから、それに見合う声援を惜しんではいけない。開催のセレモニーも簡単で良いと思う。開催間際になって人権問題が発覚、と言うよりは他国から指摘されて後追い罷免といった組織メンバーもいた。人権問題というと個々人の認識と自覚に焦点が当てられがちだが、日本全体を覆っている歴史的な精神構造にはめ込まれていて、上位に立つ者が上から目線で下の者を見下す、そんな光景を嫌と言うほど体験してきた。
権威のあるところ、その最たるところは国家国立の名を冠した組織に、今なお潜在している。人権批准があっても床の間の飾りで終わっていないか。
新コロナウィルスがここに来て感染率急上昇を示している。半分はデルタ型だという報道もあり、感染率を示すグラフの急伸が何ともヤルセナイ。医療の逼迫云々と再三叫ばれている背景が、医療現場のどの状況を指しているのかがやっと分ってきた。
日本の病院数や医療従事者の全体数からみれば、先進各国と比べて大差ないにも拘わらず、一日の入院患者が5000人ほどで医療が逼迫すると言われているのは何故か、途上国ならいざ知らず、欧米においては数万人の収容であっても逼迫しているという情報は無い。やはり日本独特の医療体制に問題があるのだなと思わずにいられない。
調べてみると日本医師会の要望によって、「急性期病床」がダントツに増えた事にあるようだ。重症患者が多くのベッドを占めているから、その分医療従事者も多いと思うのだが、一人当たりの負担が格別に重いということらしい。余裕が無いからコロナには手が回らないと云うことである。病院経営も楽ではないのは分るが、かといって現状に対応できないというのは、法制的にも抜けているのがあるからではないか。
医療保険制度にしても負担する側と受益者とのバランスが問題になっている。心配は尽きないが、我々受益者としても、現役の負担が今後更に大きくなっていくことに懸念を持っている。北欧のように高福祉高負担を実現するためには、医療制度だけをいじっていてもラチがあかない。経済体制と政治体制を大きく変えないと。意識の改革という国民レベルは難しいのだが。
コロナ禍の異変とまでは言えないが、宅配業者が多忙だという。巣ごもり需要とやらで、ネットショップへの注文が増えて配送に忙しいから。わが家でもちまちまとアマゾンや楽天を通じて発注してきた。本やオーディオと関連品等々、そして観賞植物のドワーフモンキーバナナやドラゴンフルーツの鉢苗が間近の入手商品である。送料無料とかポイント利用の値引き特典を使えるのが魅力でもある。南方の植物とあって沖縄から空輸で届いたドラゴンフルーツは、しっかりとプラ容器で梱包されて、開封すると生きのよい葉っぱがピンと張って、さすがは沖縄!と思わせた。二日ほど前に届いたので、昨日今日の雷雨土砂降りの煽りで、ベランダの片隅に押しやられているが、南国ムードはいやが上にも主役の貫禄を放っている。
都議会議員選挙の結果が出た。自民の後退は予測していたが、33議席は意外に多いと思った。単独では勿論、自公合わせても過半数に足りないが、都民に代わって第1党にのし上がった意味は?不思議に思うのは、自民党本部が60人の候補者を擁立して、一挙に都政をリードしようと、本気で思っていたこと。結果は無残に終り、衆議院選に尾を引くと嘆いている。この辺が国民との認識の差だと思う。都民ファーストは第2党として、公明党の袖を引っ張って、アワよくば都政の実権を継続したい思惑が滲む。これだけで見ると公明党が仲立ちして自公―公都どちらにも転べる選択肢がある。国政において長く与党に君臨してきた自党が、都議選とは言え、ここに来て都民にしっぺ返しを食らった訳は、安倍政権からの国会を無視した法案の作成と強引な成立方法にある。国民に顔を向けず、仲間内の政策に徹してきたことが今回の結果を生んだのではないか。国民の方も真偽を見極める力がついてきたと言うこと。政治は益々真剣勝負になる。
追補=確かにコロナ対応の後手後手は、長く与党を勤めてきた自公政権の不手際であったし、コロナ禍中のオリパラ開催をめぐる判断のブレ、そしてワクチン接種のちぐはぐな対応等々、安倍後遺症の段重ね不手際となって、オーバーラップした結果が、今回の都政に表われた。とかくボロが際限なく出てくるような時は、人体で言うと末期なんとかと言わざるを得ない。