NHKの『七瀬ふたたび』を女房と観ていたのだけれど、超能力を持つ登場人物の能力があるゆえに悩み、事件に巻き込まれていくさまは、米TVドラマ『ロズウェル』を思い出させる。
純粋に娯楽番組ながら毎回筋たてが面白い。人間の心に巣食う悪魔の恐怖を展開させ、わくわく感を刺激して飽きさせない。格別取り上げる内容ではないのだが、今夜の冷え込みはオカルト、サスペンスドラマを観るのに最適だった。
パジャマに着替えて、レッグウォーマーを履く出で立ちは、早くも冬を先取りしています・・・関係ないといえば関係ない話ではありますが・・
時々ではあるけれど、PCの意地悪にあっています。たいていがセキュリティに絡んだもので、そのつど縮小気味の脳をきりきり舞いさせられている。
早めにOCNカフエに行こうとPC操作をしたら、「IEでは接続できません」とエラーの表示、???セキュリティのほうもなにやら警告を発するオレンジ色の危険表示・・・「どうしたこっちゃ・・・まずはセキュリティを修復しなくちゃ」・・・と言うことで、いろいろやってみました。
肝心なところでこちらも、不具合が不具合を呼んでお手上げに・・・「ヘルプ」によると、「接続は出来ているが、プロバイダのほうで~制限された~」可能性、またはモデムやラン、ETC・・・
いじっているうちに、何がなんだか分からなくなってギブアップ。気がついたら、マイコンピュータがワーム防止の対象機になっていました。
『このコンピュータは永久に消滅しました・・・』こんなことってあるか?
一夜明けて、セキュリティ会社に電話で解決を、と思い、試みにHPを立ち上げてみると・・・IEはちゃんと正常に機能していた。セキュリティの危険警告も消えてこちらも正常・・・
正常に戻ったのは嬉しいが、でも、でも、何とはなくふん切れが悪い顛末であります。
まだシャツ一枚で外出できる日もある、比較的温暖な感じのする晩秋ではあるけれど、さすがに夜は寒い、と肩口の夜具を引き寄せ、すっぽり布団に身を沈める姿が老いじみて、と自認しつつ深い眠りに落ちていく。
今は不況のどん底だが、遥か以前に自由を得て不況の荒波の上を飛んでいる。仕事が切れたのを潮に、自分の思うがままの生活プランを練っている、と言えば格好つけすぎか。
中央高速道から相模湖方面へ行くこともなくなった。仕事はなくなったけれど、気に入りの温泉に行くことを楽しみにしている。
そんな中で今日は嬉しい便りがあった。かつては会社の先輩で、伝統工芸作家のSさんから個展のお知らせが届いたのだ。ずいぶん長いこと行き来がなかったけれど、気には留めていた。
若い頃は彼の家にお邪魔して、奥さんの手料理をご馳走になったり、風呂を頂いてそのまま泊まったこともあった。
招待はがきに載っている作品を観ると、切磋琢磨のあとが覗えて現物を見てみたくなった。
多摩西部に住んでから三十数年経っているのに、意外と多摩の地理や歴史が上辺だけしか知らない、と気づきます。
昨日の日記タイトルが「多摩散策」だったわけですが、散策と言うには歩数が足らない、足踏み日記になりそう・・・
御岳渓谷の遊歩道は多摩川の両岸に施されて、上流下流二つの吊り橋を渡って一巡するのが我が家の決め事のようになっている。
上流に向かって右側の遊歩道には、地酒蔵元が直営する澤ノ井ガーデンがあり、お酒は勿論、おでんや甘酒、珈琲等も清流を眺めながらいただける、リッチな空間です。
川岸に沿って歩く内に、あるところでは民家の小さな畑に出会い、野菜を売る無人の棚も設えてあったりして、風情のある小道がくねくねとリズミカルに続いています。東京にも深山渓谷の心安らぐ場があったのだと、渓流景観に身も心も投入しながら激流の川音に耳を傾けます。
「お山の杉の子」歌碑の近くには柚子料理の割烹旅館があって、通りすがりの客をも、もてなしてくれるし、有料で柚子湯にも入れるとあったが今でもそうだろうか。
秋冷・・・ひたひたと細い雨の降る晩秋であります。
このような季節を『寂しいかぎり』、『どこまでも広がる寂しさ』、と読んだ詩人もいるようです。
この寂しさを、この余情を、打ち消すような無粋きわまる経済情勢が、詩人の胸懐を凍らせているかも知れません。もっとも、詩人の懐は常に凍っているのでしょうけど・・(意味不明)
私の住んでいる多摩地方は、山懐(と言うよりは丘ですが)に抱かれる平地にあり、清流魚の遊泳する多摩川に育まれた、豊かな自然の中にあります。たとえば多摩川上流域の御岳渓谷は、私の大好きなヒーリングコースですし、巨岩巨石に打ち当たりながら、激流の下るさまを見るのは胸のすく思いです。渓流の表情を見ているだけで心が癒されます。
川沿いに設けられたプロムナードを歩けば、『お山の杉の子』の歌碑にも出会います。これは戦争で疎開された子供と関係あるのかな、どうも違うようだ。戦争中には違いないけど、元歌の背景は小さな杉の子に託して、敗戦色濃い戦争末期の子供たちを励ますと言うか、鼓舞する歌のようでした。一番から六番まで歌詞がついている。Googleの検索で調べてみました。
歌碑には、サトウハチロー作詞とありましたが、元の作詞者は『吉田テフ子』と言う方で、サトウハチローは戦争色の滲むところを、部分的に補作したようです。
妻の母が亡くなってから、まもなく7周忌を迎えようとしている。菩提寺は東北の秋田北部で、かなり遠い。
家族で墓参に行くとなれば、相当の金もかかるが、久しぶりの遊山気取りで観光スポットにはまるのも悪くない・・・そんな気持ちでJR「緑の窓口」でパンフレットを貰い、往復の列車など予定を組んで、本命の菩提寺に電話をかけたのだけれど、・・・いくらかけても電話口に出てこない。
法要だからといって、何も遠方の東北まで行かなくても、宗派が同じなら近くのお寺でもいいだろう、と言うことになって鶴見の大本山○○寺にお伺いを立てました。
すいすいと事が運ぶように見えた刹那・・・最後の詰めが悪い。「菩提寺の了解を取ってからにしてください」と言われ、振り出しに戻ってしまった。妻は私の助言を求めてきた。
ネットの検索で、多摩のある禅寺を見つけて知らせる。妻は早速電話してみた。非情に好意的で、面倒な手配も要らないのだが、『一度こちらに来てください』と言うので、午後に行って来た。こう言う時に一番気になるのは、お布施の額である。あからさまに聞いても、『いくら』とは言いにくいデリケートな事柄だけに、一般的な相場を聞いてみると、胸をなでおろす金額だったので、その場で法要期日を決めてきた。帰りがけに本堂裏の池庭を見せてくれました。素晴らしい歴史ある禅寺でありました。
何処かに身を隠していた蚊が寝ぼけるように浮遊して来たり、家庭菜園に屯するブヨが、毒針を脅かして女人を攻めたり・・・小さな生きものたちが僅かな温度差にも敏感に反応して、命のバトンを果たそうとして人間を悩ましてくる。
昆虫にとって今は冬の入口。
そう云えば、一匹の蟷螂が大きな腹をかかえて、花壇を仕切ったレンガを上ろうとしていました。上りきらないうちに滑り落ちて仰向けにバンザイです。
蟷螂の悲しさ、同じことを繰り返して場所を変えようとしません。
その後、三十分ほど後に再び見ると、其処には何もありません。??
野鳥に食べられたか?
あの大きなお腹には、雄蟷螂の宿命が詰まっていたようにと思うのだ。
わが子が小さかった頃は、それなりにグラウンドに赴いて、サイドから眺めているだけでも有意義な『体育の日』だったと思える。
けど、今は枯れている・・・知らない人の競技を見たってつまらないからね。
小学校に入ったばかりの頃は、運動会が苦手でいつもびりのほうだった。走り出すと顔が天井を向いて、足がばたばたしてしまうのだった。
そんな子供でも高学年になると、脚力がついてきて3等賞をとるようになり、走ることに自信がついてきた。
子供の頃の“きっかけ”って言うものは、単純な動機から他の可能性を引き出してくれる、と言ってもいいかもしれない。なぜなら、ちょっぴり勉強も出来るようになったのだから・・・(チクリ)
甘い!
直径7センチくらいの大実20個が、晴れの食卓を飾りました。
今は冷蔵庫の中で甘味増幅チュウです。
先日の参院での答弁でも、答弁書の棒読みのように素っ気無く、聞いている者の心に響いてこなかった。
どこか、高みからモノを言う押し付けがましさと言うか、荒さが見える。
気になるのは解散権を振りかざして、政局を有利に導こうと言う魂胆がありありと見えること。
その間に皮肉にも、中川国土交通相の妄言暴言で体制に傷がつき、組閣5日目で首の挿げ替えとなりました。麻生総理の思惑と逆行している政局の流れである。
毒米の食用転用問題や、輸入餃子のメタミドホス混入問題、さらには年金改ざん問題の泥沼化等で政権の末期症状に墜している。官僚の腐敗は当然斬って捨てるべきだが、ここに至らしめたのは政官業癒着が根底にあるのだから、永い間政権を担ってきた自民党の責任は重い。
このような視点で政局を見ると、総裁選立候補の神輿担ぎの賑わいが、政党戦略に基づくものと想像がつく。
国民は既に状況を把握しているのではないか。
まだ記憶に生なましいJR福知山線脱線事故ですが、すでに3年5ヶ月も経った今、後遺症によると思われる自死者が出てしまいました。未来あるはずの25歳の青年。
頚椎の損傷があったそうで、さぞ辛かったろうと思います。私の周りでも頚椎損傷による神経系の障がいから、命を絶った人がいます。
他者は『弱虫』とか『意気地なし』とか言いましたが、そんなものじゃない。
10キログラムの頭を支えている頚骨の損傷となれば、脊髄を通る神経の束を痛める恐れもあり、結果として精神コントロールが利かない、抑制を失った末の自死に至るケースを見るのである。想像を超える沈鬱な精神状態に耐えられなくなって一線を越えてしまう、そこに至る苦痛の深さを思う。
日々の暮らしの上に、否応なく「鬱」が重くのしかかって、生きようとする意欲を削いでしまうからです。とかく、外見で見えないところの障がいは、他者の思いやりも行き届かない。青年のご冥福を祈ります。