タローが死んでから早や1カ月を迎えようとしている。
1階の居間にはタローのスナップ写真を数枚飾ったまま日を送っているのだが
今日もまたベランダの鉢花といっしょに撮った写真を追加して並べた。
思い返せば突然の死であったので、今でも生前の姿がそこかしこに漂っている感じがするのである。
実は死の5日ほど前から便の一部に黒便が混じっているのに気づいていた。
ネットで検索してみると、大腸炎で注視する必要があるという。
2~3日が山だと、サイトの指摘があった。
行きつけの獣医に連絡して診察に向かう。
助手席の妻に抱かれたタローは普段と変わらないように見えた。
直ちに診察を受けると、やはり大腸炎だということだった。
熱を押さえる抗生物質の注射をし、整腸剤の錠剤を頂いて餌とともに飲ませる。
これで一安心と思ったのは私や妻だけではない。
タローをお気に入りの獣医さえ、「タローちゃん、もう大丈夫だよ』と送り出してくれたのだ。
整腸剤はすでに餌とともに胃に収まり、回復を期待されたのだが、食欲もあり元気そうに見えたものの異変は急にやってきた。
体を支えていた四肢が崩れるように床に開き、滑り込んだとたん悲痛な声を出したのである。
後脚の太腿に触れてみると筋肉が萎えて骨だけで支えているのが感じられた。毛艶もあり、抱えるとずっしりと重くもあったので、獣医さえも死が迫っているとは思っていなかったようだ。
それでも何度か立ち上がってはベランダに行きたがった。その都度抱っこして階段を上り、ベランダの床に下ろしてやるのだが長くは居られない。
階下に下りる時も抱っこをしてくれるお父さんをじーっと見つめている。
そしてダイニングルームの床の上で、横向きになった四肢に痙攣が襲うようになるのである。
眠っている時間も長くなっている。
そんなことが続いていたとき
ふと目覚めたタローは、目の前に『お母さん』が座っているのが見えた。
タローは自由にならない脚を、前足だけで這っていき『お母さん』の膝の上に顔を埋めたそうだ。
子犬の時から食事や排せつの世話をしてもらい、晩年になっても寝る前のオシッコは『お母さん』でなければやらなかったタローだ。
『お母さん』の膝に埋もれて、どれほどか安心を得られたことだろう。動物の精一杯の感情は人間にも通じるところがある。
そして、最後の夜を迎えた。
せわしく腹を波打って呼吸しているが、目は閉じたまま意識は遠くをさ迷っている。
『お父さん』(私)が思いを込めて「タロー」「タロー」と2度叫ぶと、目は瞑ったまま横向きの四肢を漕ぎだした。しきりに漕いでいる。
長いこと漕いでいるところを見ると、度々行った自然公園の広い芝原の上を、お父さん目がけて走って来ているのだ。
そのさまを見て妻は感動したそうだ。
ゆっくりと漕ぐのを止めると、深い眠りに入って行った。
呼吸も緩やかになり、穏やかな最終期に入った。
家族に見守られて6月24日の深夜、日付が変わった25日0時50分
鼓動が止まる。
都立自然公園に連なる一角の『ペットメモリアルパーク』に、今は大勢の仲間と共に眠る。
タローよ、安らかに眠れ。
タローと叫べばいまわの床の四肢を漕ぐ ―お父さん―