conparu blog

ささやかな身の回りの日常を書き綴ります。
[ブックマーク『conparuの白い航跡』もよろしく]

年末の思い「雑感」

2024-12-31 10:31:29 | 随想
光速の中で何に向かってかこの身を疾駆する・・・キザな台詞だが一週間の巡り来るのが速いこと、つるべ落としも感覚的にはそうだけど、何かゆったりと落ちる感じもして、それよりも投擲の槍が曲線を描きながら地面に刺さる直前を見ているような、スリリングな高揚感と恐れみたいな、要するに老いらくの一言なのである。
例年のごとく年の瀬もどん詰まり、暦のめくりがなくて次の新しいカレンダーが丸まったまま、ピアノの上に乱雑に置かれている様は、この身と世界の情勢に帳がかかったような、今一明瞭さを欠いた境地を暗示しているではないか。
 年の暮れと言うことで、何か明るい話題を探していたのだが、出てくるのは埃と嘆息ばかり、と言うのも芸がないので。この一年を強いて求めれば、若い人の活躍が目立ったスポーツがある。オリンピックで逆転優勝を果たした堀米雄斗や12才の少女小野寺吟雲のスケートボードや京都駅伝優勝者の長野県男女チーム、そして若いと言っても30才ながら、MLBの大谷翔平の本塁打と盗塁の記録に喝采を送った日々は、つい先日のことのようである。殴り合いは好きではないが、ボクシング井上尚弥の豪腕を証明するタイトル勝破の数々は、賞賛に値する。かくして老壮の出る幕は自公のごとし、影が薄くなるばかりである。一年間に出会ったブログ友、そして顔面識のある方々、新しい自分の姿を描き続けて欲しいと願う。
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あのころこうだった

2024-12-22 23:02:28 | 随想
 今や中国の経済力は米国に次ぐ発展ぶりだが、振り返れば発展途上国として 日本始め先進国から開発援助資金を受けていたのだった。大国になった今でも受けているらしいのは解せない話だが、どうもその辺のからくりは分からない。
 話は変わって卑近な八百屋の話になるけど、40年ほど前に移り住んだ頃は小さなオンボロの八百屋だったのが、周囲の同情もあってコツコツ貯めたせいか、10年後にはスーパーストアに生まれ変わったというミニ成功話なんかを思い返すのだが、こちらはあくまでも自力でなし得たこと。後ろめたさもないのだが、大きく成長した後は少なくとも地域と密接に関与し合い、相互の利益を計ってウィンウィンの関係を保って現在に至っている。日本人なら当たり前の関係性だ。制度も違い国も変わると、どんぶりがひっくり返ったような判断の分かれるところではある。と言うのも中国の経済発展の陰には目的を持った工場誘致があったと、ある誌で見たからである。工場誘致を持ちかけて特殊技術の搬入を促し、生産が定着すると技術もろとも準国産化となって、製品は世界に行き渡ったのであるから、経済は潤い生活レベルも飛躍したわけだ。そして技術を搬送した国の生産力は激落ちして、貧乏くじを引いた国民は貧乏そのもの、超インフレに悩んでいる。これも国民性の違いであって、一概に善悪で評価するものではないと思う。経済は生き物というからね。
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世紀末プロジェクション

2024-12-12 21:48:28 | 随想
世の終わり、即ち世紀末の足掻きが今日の様々な諸相に現れていると言おうか、偉そうに批評家ぶって言える身ではないけれど、下々から御大まで狂いまくっている。当然と言えば当然の現象だと思うのは、人間のなせる業が地球環境の悪化を伴って、便利で快適なはずの文化生活が、無残にも自らの首を締め付ける反作用に陥っているからだ。便利さはさらに良い物の発明を促し、それで終わることがない。欲求を満たすためには際限のない欲望が私たちを取り巻いていて、欲望のままに地球環境も破壊してきた。地球も病んでいる。人間の知恵が地球を傷めたのか、それとも地球が病んだから人間も劣化したのか、それらは絡み合って連鎖反応を起こしているようにも見える。時代とともに負のスパイラルとなって悪循環を伴ってきた。科学の進歩は夢色ばかりではない、逆行することもあるのだと、ここまで記してプーチン、ネタニヤフ、金正恩、シリアのアサド、トランプ等々の顔が都庁の壁面に映し出されたゴジラの姿とダブって、我の大脳皮質にマッピングされた。
 人間は便利さを求めて様々な物を発明し、商品化して発展してきたけれど、便利さの裏では環境を破壊する両面があって、人間社会の生きづらさも生産しているようだ。       
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ポンコツ顛末

2024-12-06 00:11:05 | 随想
 物が溢れている、未だにそう言っても良さそうな、東京の車社会の光景である。先日ブルガリア(だったかな?)から来た観光客が、都会を走る車はどの車もピッカピカだと魂消ていた、と、何かのニュースにあった。欧州全体に言えるかも知れないが、あちらの車はボコボコの車が多いようで、それであって平常心を保っていられるみたいな、安心感が醸し出されていたのである。翻って東京田舎に住んでいる我は、20年落ちのカローラを乗り回しているので、魂消た観光客の癒やし効果もあろうかと、自らの存在を示したい気にもなったのだが、前日までは快調に始動して買い物を済ませていたカローラ嬢、翌日の昼前に始動しようとしたら、?セルモーターがウンともスンとも手応えがない。JAFを呼んで、来てくれた若い作業員がトランスミッションのあちこちを棒で叩いて始動を試みたが、ウンともスンとも・・・そして今日(5日)のJAFのレッカー車を呼ぶになって、来てくれた中年のベテランさんが「ここしかない」というところを痛打すると、あら不思議、ブルンブルン、エンジンがかかってしまった。ディラーのT社まで搬送する必要もなくなったので、ベテランさんのレッカー車は万一に備えて、私のカローラの後からT社工場までついて来てくれた。丁度今日が6ヶ月点検を予約していた日でもあり、冬タイヤの履き替えもするので、トータルで言えばカローラ嬢は、すこぶるお利口な機転の利く車でした。月1回の高速道で隣県へ行くこともあるからか、未だにリッターあたり10キロメートル近くを走ってくれるのだ。
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