事実を知った夫が、見えないながらも果し合いによって、武士の一分を通すと言うもの。ただ、これだけでは単なる活劇に過ぎないが、一度離縁した妻が従者の計らいで『飯炊き女』になってお膳をしつらえる。当然親しんだ味に妻だと分かって、・・・台詞のない沈黙のカメラワークがいい。
事実を知った夫が、見えないながらも果し合いによって、武士の一分を通すと言うもの。ただ、これだけでは単なる活劇に過ぎないが、一度離縁した妻が従者の計らいで『飯炊き女』になってお膳をしつらえる。当然親しんだ味に妻だと分かって、・・・台詞のない沈黙のカメラワークがいい。
綺麗に出来すぎたきらいはあるけど、吉原と言う異次元の世界で、売られた女が金のために身を売るハードな世界は伝わってきた。
ヒロインの花魁「紫」がまだ駆け出しの若汐という女郎であったころ、かつて将来を誓った男に希望を抱いて、その日が来るのを待っていたが、女郎である故に無残にも夢は砕け散る。
これからの若汐の生き方は、女郎に徹して身も心も凍らせる非情の世界へと変転し、花魁のナンバー1に上るのだけれど、部屋待ちの格式を捨てて他の女郎と同じく顔見世の場に居並ぶ。
この「吉原炎上」での見所は、女郎はあくまでも女郎、金で買われる身であれば花魁も女郎も同じ、これに徹して生きる「紫」の気概だ。
だからこそ外務官の大倉の身請けも断って、「年季が明けて後、一度だけお伺いいたします、そのときは『よくがんばったね』とだけ言葉をかけてください」・・・。大倉は立派に大成し、年季を明けた「紫」の訪問を受ける。大倉はこの日を待っていた、妻として迎える日を。
桂小五郎(木戸孝允)と幾松のようではないか、こちらは身請けされた愛妾ではあるけれど・・・。美談完結でした。
今日のG温泉は午後2時ごろで4~5人と、入浴客も少なくてのんびりゆったりでした。
いつも行くG温泉は、とにかく温まることと湯冷めしないのが特徴。神経、筋肉痛、五十肩、皮膚病、打ち身切り傷、婦人病、
疲労回復、等々効能書きが掲げてありました。温まる湯はのぼせ易い性質もあるので(どんな湯でも長湯すればのぼせます)自家風呂と同じくらい1時間であがりました。
どうも頭が優れない。数日前、寒い中でシャワーを浴びて洗髪したことがいけなかったみたい。額の辺りに熱気を感じて物事に集中できない。おまけに奥歯が炎症を起こしたようで、こちらも違和感がある。
何事も順調とばかりには行かないのが世の常、ひたすら辛抱の一言を胸に刻んで、嵐の過ぎるのを待つ心境です。
明日は山間の町に納品です、ついでに温泉に入って肩の荷を下ろすつもりだけど、その後がどうなるのか、ままよ・・・。
方や短日休の多忙な方もありで、年の瀬の日めくりカレンダーは火炎坩堝の中に喘いでいるようです。
大掃除も早々と済ませて、賀状も取り扱い日を待っていたら、出すのを忘れてしまった。何事も程々がいい。
家庭サービスの心算だったが・・・言い訳をしなくとも、夕暮れ時の広場を埋め尽くした光の芸術はすばらしいもの・・・30分ほどの観賞時間だったけれど、思った以上の感情移入に人工造形も悪くないな、と思わせてくれた。
除夜の鐘まで後十日足らず、寒天の月は冴えに冴えて、刃物のように冷たい光を発しています。
今年の歳末商戦もいまいち盛り上がりに欠けているようで、こちらにも冷たい月光が差し込んでいるみたい。
仕事のほうも後二日もあれば終わってしまうだろうから、年末から正月にかけては大工になる(・・・だろう)。
仕事に平行して作っていた趣味の作品も、昨日終わったところ、年内にある人に差し上げることにしている。
連夜の遅い就寝で、カフエも足跡お返しも満足にできませんがご容赦ください。
すっかりパーマ気が取れてペッタンコに近い。長髪にして後ろで束ねようかとも思ったけど、カミさんが気に入らないようで、「いってらっしゃいよ」と言いながら1万円札を渡してくれた。
「いつものデザインパーマでお願い・・・」半年振りなのに、自然と口から出た。相手はご指名の○○クンで腕は相当なもの。
洗髪の間も、カーリングの最中も、ひたすら眠っていたけれど、カックンと首が垂れることも無かった。・・・と言うことは喋りたくなかった、からか?・・いや、眠いことは眠かったはずだ。
どうでもいいことを思い返すのも、かわいいコちゃんが部分担当してくれたからだ・・・。
そんなこんな年柄もなく振り返っている夕べなのでした。
湿り雨パーマの髪が気にかかる
「♪ジングルベル、ジングルベル♪」
12月も中旬になるとラジオから「交響曲第九」が流れ、商店街やスーパーマーケットの店頭からは「ジングルベル」が賑々しく鳴り渡る。
と言っても、購買心をそそのかされるわけでもない。クールに必要品のありかに直行していくところが今までとは違うかな?と自問自答している。
クリスマスイブには、敬虔なクリスチャンなら教会ミサに参席して主を讃え、御名において感謝の祈りを捧げるだろうし、家に帰れば家族とともにロウソクを灯し、主に感謝してケーキを口にするだろう。
イブの夜は並べて静謐に過ぎてゆく、聖夜なのだから・・・何時だったか、もう遠い記憶がよみがえってくるのだが、バンクーバーの港街に嗜好品を買いに行ったときのこと、夕暮れ時であったけど行けども行けども街は深閑として誰一人歩いていない。ただ雪が降るだけだった。クリスマスイブの街は暗い戸張に閉ざされて、結局何も買えないで帰ってきた。外国人の一人として侘しい思いをしたものである。
翻って日本のクリスマスイブは賑やかに過ぎていきます。商戦の渦中にもみくちゃにされたイエスはサイレントナイトであるはずが無い。
旧知のご夫妻が来宅した。
近況を伺い、家族の安否を尋ねる。
ありふれた会話の中に知己の安心感がある。
家族のことと言えば、今では大きくなった子供たちの立ち居振る舞い、
仕種をネタに笑い合う茶話の類だろうか。
落葉の競うがごとく土に散る
鮮やかに秋を彩っていた木々の葉が、今はもう色褪せて舞い落ちてきます。
多摩の山々も冬支度に忙しく、寒々として地肌をさらしています。
狭山丘陵の午後は柔らかい日差しを受けて、樹朴の一本一本が冬に向かって深い沈思にふけっているように見える。
橡や楢の広葉樹の葉っぱが、赤銅色に染まって青空を仰いでいるのを見ると、とてつもなく人間の及ばない孤高の尊厳がしのばれてくる。
遊歩道に敷かれた落ち葉の上を、私と妻と雄犬のタローが、落ち葉色に染まりながら歩いていく・・・。思い思いを胸に秘めながら、自然の中に溶けていく想いはひとつになって。