conparu blog

ささやかな身の回りの日常を書き綴ります。
[ブックマーク『conparuの白い航跡』もよろしく]

中秋の名月

2015-09-27 23:47:20 | 詩歌

秋の名月――千年の物語を秘めており




そぞろ気に夜の月を仰げば
こうこうと照り冴えて宙は近し
懐かしい感触は少年の夢か


秋風にたなびく雲のたえ間より
もれ出でる月の影のさやけさ―――藤原顕輔


顕輔さんごめんよ、たなびく雲が見当たりません。









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「古代をかじる」の靄が晴れて

2015-09-26 09:12:39 | 随想

自分の中で古代史の筋というか、先覚者の諸説の中から、自分なりの歴史の流れを納得したい、その思いで記紀に係わる神話に興味を持った。過去にも当ブログで『古代史をかじる』という題で、歴史研究家の論文を借用しながら、例えば『天孫降臨』や『神武東征』の条で、歴史と云うよりも物語として感想を記してきた。でも、筋がいま一つしっくりしない。分からなのである。
その第一は邪馬台国の始原が分からないこと。卑弥呼と高天原に起生する、天照大神の子孫、天忍穂耳尊を祖とする天孫族との関係が何も書かれていないのである。第二に出雲の存在が「スサノオ」を神祖として、大国主命の『国譲り』に至る一大展開で、あっさり片づいていること。大国主命の孫である長脛彦は、最後まで抵抗して長野に逃れた、この一事でも、あっさり行かなかったのではないか、という疑念。

二、三日前、ネットサーフィンしていたら、古田武彦氏の『「邪馬台国」は無かった』の論文に出合った。各章に分かれた精細な論文であるが、学会では無視されているらしい。学会では『邪馬台国』は当然視されているからである。
氏が重要視しているのが原書を忠実に解釈せよ、と言うことである。古田武彦氏に言わせると、『魏志倭人伝』の原書には「邪馬台国」と記された個所は一つもない。「邪馬壹国」あるいは「邪馬一国」とあった。ところが日本の歴史学を代表する津田左右吉によって、「邪馬壹国」の壹いちを――臺だいにかえて「邪馬台国」にされてしまったのだそうだ。中国の魏や晋の時代では『臺』とは皇帝そのものを指すもので、蕃な「邪馬」の国名で呼ぶ魏・晋から見て『臺』はあり得ない。と云う説得性のある論調だった。ど素人の私の胸にも、「原書を読む」重要性が電撃のように伝わってきた。

「J'MOOC」と云う無料大学講座が、NTTドコモ主催の「gacco」として現在開講中であるが、その中で「日本中世の自由と平等」と云う歴史学を担当する本郷和人先生も言っていたように、大事なのは「原書を読むこと」にある。

これまで「邪馬台国」から無理やりに「ヤマト」と読ませ、近畿の大和こそ卑弥呼の都だ、とする主流派の主張は、はなはだ空想の域を出ないことになる。これで私のもやもやが一つ消えたことになった。ただ、それが何処かと云う疑念も古田武彦氏によって、晴天の一点を仰ぐのである。氏は多角的に論拠を求め、伝承や遺跡、古代遺跡の発掘による遺物等から、その痕跡を北九州の博多湾に求めた。始めから博多に「邪馬壹国」があったのではない。他所から北九州を占拠して樹立した国家が「邪馬壹国」なのだと言う。卑弥呼を遡ること十数代?の墓も、糸島半島近くの高祖山の麓にあるという。それはともかく、今の私には他の方に注意を払う。北九州に来る前は何処にいたのか、と云う一事である。
これも氏の論説によれば、『一大国』と言い、『一大率』と言い、魏誌に出てくる倭国の用語が、九州の北に位置する壱岐国を示すと言う。
論説は裏付けも欠かさない。壱岐に伝わる「天あまの何々」と天を冠した伝承が数多あること。
天皇家の祖先に『天忍穂耳尊『天火明尊』『天津彦根命』等々尊名に「天」を冠していること。などを踏まえ、記紀に伝わる『天孫降臨』が北九州への侵攻を意味していると述べている。
では、それまでの北九州は誰が支配していたのか?――出雲である。

古田武彦氏の資料は膨大にわたり、各項に分けて長文の論考であるから、古代の一かじりでは、とても感想も追いつかない。そんな訳で古代に対する私のもやもやは、随分とすっきりしたところで幕にしたい。

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時を駆ける魔

2015-09-13 14:11:52 | 随想

アドルフ・ヒトラーの『わが闘争』を読んでいないけれど、彼がいかにして民衆の心を引き寄せて行ったのか、その概論を読んだことがある。もともと虚弱な体質だった彼は、パリに留学して画家を志望していたことは知られている。
だがパリでの入学試験に失敗した挙句、食うや食わずの生活に落ち込んでしまった彼は、生半可な絵を売って一日の糧を得たそうだが、買ってくれたのはユダヤ人だった。

生活の窮状を救ってくれたのはユダヤ人だったということ。
若い時の生活体験が、後々の人生にも少なからず影響しているはずなのだが、そうならないところに時代の悪魔が潜んでいた。
大一次大戦に伍長として出兵するも、負傷して入院している間に敗戦となる。ドイツは莫大な戦後補償を抱え、ワイマール憲法の制定の下、民主主義を世界に先駆けて掲げた国である。第二次大戦後の日本の平和憲法のようなものだ。
経済は疲弊して国民の不満が募り、追いかけるように大恐慌の時代が世界を覆った。
こうなると世界は萎縮し、各国が内向きなナショナリズムを露呈して、自国優先の旗を振るようになる。こんな時にアドルフは政界におどりでて、得意の弁舌で民衆を煽った。「この国を何とかしたい」当初はそんな思いだったのだろうが、力をつけて来ると悪魔が余計な知恵をつけて来るものだ。

ナチス党の総統となった『伍長殿』は、敵対する人物や政党を排除し、見えない坂道を転げるように突っ走った。
その最たるものがアウシュビッツだろう。
時代の悪魔は、かつてのドイツから世界の隅々へ、所を得たように繁殖する時代へと変移した。
しかも武力で立ち向かうとすれば、悪魔の力は倍増する。一歩間違えれば世界の終焉が待っているのだ。
私たちも足元を見なければならない。



墓標

2013-11-21 23:07:07 | 詩歌 (再録)

雪崩のように一気に押し寄せようとしているのは何だ?
かつて息絶え絶えの悶絶する地下牢の中で
夢はただ一つ、陽の光を浴びることだった

或る日、伍長殿は墓場から出てきて
持ち前の弁舌で民衆の心の中に胃酸を打ちこんだ
みるみるうちに街の中心は墓場で一杯になり
いつの間にか原形もなくドロドロになった躯(むくろ)が
20世紀の墓標となったのだった

悪夢である
寝汗が枕を濡らした
アルフォンス・カポネも民衆を引きつける粘着力があった
そして、ごっそりと民衆を地底の穴に落としこんで行ったのだ

奇しくも時代の色が似てきた



眠れる「時」


2015-02-26  詩歌(再録)

どこかで遠雷のような空気を震わせて
21世紀の神話が作られている

懐かしくも恐ろしい皮膚感覚が
電光石火のように時を飛び超えて
歴史の井戸水を汲みあげているのだ

氷河は溶けて流れ
霊峰の法師は山に戻らない

何時からか神泉は枯れたまま
野獣の棲家となった

「時」が眠りから覚めるまで
荒野はお前のなすがままだ

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秋の長雨

2015-09-08 12:55:52 | 詩歌

秋の長雨とはこのようなものかと、古い記憶を懐かしむ心地がして、季節の急変を迎えています。
過ぎてみれば夏は遠くへ去り目の前の状況に身も心も浸っている自分がいる。
台風18号に押された前線が、厚い雲の帯で列島を覆っています。野菜の生育と出荷に影響が出そうです。

つかの間の命ありてかりそめの棒の端にも玉を結べる



オリーブの実のつややかに長雨のあと台風来るらし




くたす雨の非情にて日々草の花も冷たき

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